歩いて渡りました。
ここでようやく6割くらい歩いたかな?
2019年02月23日
酒蔵みてある記・齋藤酒造
久し振りの「酒蔵みてある記」、今日は京都線の大久保駅より伏見の齋藤酒造目指して桃山御陵前駅まで歩きます
2019年02月22日
奈良散歩20190203_酒蔵みてある記・初霞:榛原より宇陀川
近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録。
2019年の6回目は、「酒蔵みてある記」で初めて行く酒蔵・久保本家酒造。
昨年も楽しみにしていましたが、父親の急な入院で見送ったのでした。
榛原駅へとやってきました。
P2030118 posted by (C)fronte360
前日の奈良豊澤酒造は2,000人を超えるすごい参加者でしたが、
こちらは1,000人ほどだったでしょうか、マップの番号は637番でした。
前に並んでいたおっちゃんがマップを2枚も貰っていたので本当は636番?
でもね、これが後で幸運に結びついたのでした。
P2030120 posted by (C)fronte360
榛原って、別のハイキングの帰り道に北口から乗ったことはありますが、
この駅に下りたことは多分初めてですね。 南口も初めて。
P2030121 posted by (C)fronte360
とにかくスタート。 榛原駅を振り返ります。
P2030122 posted by (C)fronte360
前日と違って歩く人もまばら・・・ ですが、ちょうどいい感じ。
P2030123 posted by (C)fronte360
宇陀市役所
P2030124 posted by (C)fronte360
宇陀市(うだし)は、奈良県北東部に位置する市。
奈良県北東部、大和高原の南端に位置し、四方を山に囲まれた高原都市。市内を近鉄大阪線や国道165号、 国道166号、 国道369号、 国道370号などが通る。
宇陀川・芳野川沿いの平地を山が取り囲む地形。その大半が森林。旧菟田野町域・旧大宇陀町域・旧榛原町域の旧市街地は平地に位置するがその他は山地、狭隘地に集落が点在する。旧榛原町域の北側、旧室生村域の北側・南側、旧菟田野町域の南側は標高も高い山岳部につながっている。
(Wikipedia「宇陀市」より)
P2030125 posted by (C)fronte360
市街地を抜けて宇陀川へと向かいます。
P2030126 posted by (C)fronte360
P2030127 posted by (C)fronte360
川に沿ってサイクリングコースが整備されていて、そこを歩いてゆきます。
P2030128 posted by (C)fronte360
P2030130 posted by (C)fronte360
駅から約6Km、うだアニマルパークまでひたすら歩くコースなのですね。
でもハイキングらしいハイキング(前日の人の多さは異様やったもん)です。
楽しく歩いた結果はまた後日。
2019年の6回目は、「酒蔵みてある記」で初めて行く酒蔵・久保本家酒造。
昨年も楽しみにしていましたが、父親の急な入院で見送ったのでした。
榛原駅へとやってきました。
P2030118 posted by (C)fronte360
前日の奈良豊澤酒造は2,000人を超えるすごい参加者でしたが、
こちらは1,000人ほどだったでしょうか、マップの番号は637番でした。
前に並んでいたおっちゃんがマップを2枚も貰っていたので本当は636番?
でもね、これが後で幸運に結びついたのでした。
P2030120 posted by (C)fronte360
榛原って、別のハイキングの帰り道に北口から乗ったことはありますが、
この駅に下りたことは多分初めてですね。 南口も初めて。
P2030121 posted by (C)fronte360
とにかくスタート。 榛原駅を振り返ります。
P2030122 posted by (C)fronte360
前日と違って歩く人もまばら・・・ ですが、ちょうどいい感じ。
P2030123 posted by (C)fronte360
宇陀市役所
P2030124 posted by (C)fronte360
宇陀市(うだし)は、奈良県北東部に位置する市。
奈良県北東部、大和高原の南端に位置し、四方を山に囲まれた高原都市。市内を近鉄大阪線や国道165号、 国道166号、 国道369号、 国道370号などが通る。
宇陀川・芳野川沿いの平地を山が取り囲む地形。その大半が森林。旧菟田野町域・旧大宇陀町域・旧榛原町域の旧市街地は平地に位置するがその他は山地、狭隘地に集落が点在する。旧榛原町域の北側、旧室生村域の北側・南側、旧菟田野町域の南側は標高も高い山岳部につながっている。
(Wikipedia「宇陀市」より)
P2030125 posted by (C)fronte360
市街地を抜けて宇陀川へと向かいます。
P2030126 posted by (C)fronte360
P2030127 posted by (C)fronte360
川に沿ってサイクリングコースが整備されていて、そこを歩いてゆきます。
P2030128 posted by (C)fronte360
P2030130 posted by (C)fronte360
駅から約6Km、うだアニマルパークまでひたすら歩くコースなのですね。
でもハイキングらしいハイキング(前日の人の多さは異様やったもん)です。
楽しく歩いた結果はまた後日。
2019年02月21日
(2019年)2月の関西アマオケコンサート情報(追加4)
2019年2月に、京阪神で開催されるアマオケ関連の演奏会について追加投稿します。
※2/21(追加)
2/24:西陣お弁当オーケストラ 第6回発表会
gaku さんより情報いただきました。
ホームページを探してみましたが、古い情報しか載っていません。 日曜日の夜公演ですが、興味ある方は是非いらしてください。
※2/21(追加)
2/24:西陣お弁当オーケストラ 第6回発表会
gaku さんより情報いただきました。
ホームページを探してみましたが、古い情報しか載っていません。 日曜日の夜公演ですが、興味ある方は是非いらしてください。
奈良散歩20190202_酒蔵みてある記・豊祝:奈良豊澤酒造
近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録。
2019年の5回目、人気ハイキング「酒蔵みてある記」でも最大級の人気コース
奈良豊澤酒造「豊祝」へのハイキングに参加しました。
平城宮跡より宮跡庭園を経て佐保川を南下、大安寺、元石清水八幡宮を出て
県道754号線を南下して、ようやくゴールにたどり着きました。
P2020103 posted by (C)fronte360
豊澤酒造の酒造り
昭和40年代、日本全国で普通酒が全盛の頃、 当蔵の4代目・豊澤安男は「これから世の中が豊かになるにつれ、 消費者は本当に良い酒を望むはずだ」と考えました。そして、力を入れたのが純米酒造りです。 「高品質のお酒をたくさんの方に飲んでいただきたい」という思いから、価格を抑えた純米酒「黒松貴仙寿」を 世に送り出したところ、大変多くの方に支持されました。 それは、消費者の視点から「本当に喜ばれる良質の酒」にこだわった結果なのです。
奈良豊澤酒造の酒造りへの思いは、今も変わっていません。 そのため、創業以来、ほとんど機械化せずに手造りに徹した酒造りを行ってまいりました。 今日、奈良豊澤酒造で生産する酒の8割が、純米酒以上の「特定名称酒」で占められているのも、 その証といえます。
(「奈良豊澤酒造」ホームページより)
P2020104 posted by (C)fronte360
中に入ると、まずは酒蔵見学のコースです。 いきなり試飲は出来ません。
P2020105 posted by (C)fronte360
これに参加されている方は見慣れた光景なんで、近代的な設備の中、
皆さん黙々と歩いて酒蔵を出ますと・・・
P2020107 posted by (C)fronte360
下で振る舞いの甘酒と試飲と販売場となっています。
P2020108 posted by (C)fronte360
下に降りて向かって左が試飲、右が販売となっているのもいつも通り。
P2020109 posted by (C)fronte360
奥の方には燗酒やゆず酒の試飲もあって多彩なラインナップもまたいつも通り。
P2020110 posted by (C)fronte360
販売もにぎわってますが、あまりの人多さに早々に退散ですわ。
P2020111 posted by (C)fronte360
そして出口では一人に1個づつ「豊祝」のワンカップのお土産!!
これも例年どおりですね。 太っ腹っ!!
P2020112 posted by (C)fronte360
コースでは奈良交通バスでの戻りになってますが(近鉄グループなんでね)、
でも当方はいつも通り桜井線の帯解駅まで歩いて戻りました。
P2020115 posted by (C)fronte360
おしまい。
2019年の5回目、人気ハイキング「酒蔵みてある記」でも最大級の人気コース
奈良豊澤酒造「豊祝」へのハイキングに参加しました。
平城宮跡より宮跡庭園を経て佐保川を南下、大安寺、元石清水八幡宮を出て
県道754号線を南下して、ようやくゴールにたどり着きました。
P2020103 posted by (C)fronte360
豊澤酒造の酒造り
昭和40年代、日本全国で普通酒が全盛の頃、 当蔵の4代目・豊澤安男は「これから世の中が豊かになるにつれ、 消費者は本当に良い酒を望むはずだ」と考えました。そして、力を入れたのが純米酒造りです。 「高品質のお酒をたくさんの方に飲んでいただきたい」という思いから、価格を抑えた純米酒「黒松貴仙寿」を 世に送り出したところ、大変多くの方に支持されました。 それは、消費者の視点から「本当に喜ばれる良質の酒」にこだわった結果なのです。
奈良豊澤酒造の酒造りへの思いは、今も変わっていません。 そのため、創業以来、ほとんど機械化せずに手造りに徹した酒造りを行ってまいりました。 今日、奈良豊澤酒造で生産する酒の8割が、純米酒以上の「特定名称酒」で占められているのも、 その証といえます。
(「奈良豊澤酒造」ホームページより)
P2020104 posted by (C)fronte360
中に入ると、まずは酒蔵見学のコースです。 いきなり試飲は出来ません。
P2020105 posted by (C)fronte360
これに参加されている方は見慣れた光景なんで、近代的な設備の中、
皆さん黙々と歩いて酒蔵を出ますと・・・
P2020107 posted by (C)fronte360
下で振る舞いの甘酒と試飲と販売場となっています。
P2020108 posted by (C)fronte360
下に降りて向かって左が試飲、右が販売となっているのもいつも通り。
P2020109 posted by (C)fronte360
奥の方には燗酒やゆず酒の試飲もあって多彩なラインナップもまたいつも通り。
P2020110 posted by (C)fronte360
販売もにぎわってますが、あまりの人多さに早々に退散ですわ。
P2020111 posted by (C)fronte360
そして出口では一人に1個づつ「豊祝」のワンカップのお土産!!
これも例年どおりですね。 太っ腹っ!!
P2020112 posted by (C)fronte360
コースでは奈良交通バスでの戻りになってますが(近鉄グループなんでね)、
でも当方はいつも通り桜井線の帯解駅まで歩いて戻りました。
P2020115 posted by (C)fronte360
おしまい。
2019年02月20日
奈良散歩20190202_酒蔵みてある記・豊祝:県道754号
近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録。
2019年の5回目、人気ハイキング「酒蔵みてある記」でも最大級の人気コース
奈良豊澤酒造「豊祝」へのハイキングに参加しました。
平城宮跡より宮跡庭園を経て佐保川を南下、大安寺、元石清水八幡宮を出ます。
P2020087 posted by (C)fronte360
すると、大安寺の塔の跡がありました。 広大な寺領だったのですね。
P2020092 posted by (C)fronte360
塔は2つあったそうで、上のが東塔、下のが西塔の跡のようです。
P2020091 posted by (C)fronte360
東塔跡の向こうに若草山が見えました。
P2020094 posted by (C)fronte360
このあと左(東)に折れて県道754号線へと出て、南下します。
交通量の多い道を約1.5Km歩きました。
P2020097 posted by (C)fronte360
奈良県道754号線
奈良市の奈良県庁東からJR奈良駅前までの間を除く全線がかつての国道24号である。国道24号奈良バイパスの一部供用開始に伴って1972年(昭和47年)3月22日に木津町市坂・奈良市大森町間が両府県へ移管された。同パイパスの暫定2車線開通後の1977年(昭和52年)11月1日に奈良市大森町・大和郡山市発志院町間が奈良県へ移管された。
(Wikipedia「京都府道・奈良県道754号木津横田線」より)
P2020098 posted by (C)fronte360
大勢の人間が南に向かって歩いているので、ちょうどお昼どき、
お弁当を買いにきていたとおぼしき若いお姉さんに「どこから来たのですか」
と聞かれて「西大寺から帯解の酒蔵まで」と答えると、「西大寺から!」と
たいそう驚いておられました。 だいたいこの辺りで8Kmくらいかしら。
P2020100 posted by (C)fronte360
目印の修理中の歩道橋のところで県道754号線から離れて東の民家のほうへ。
しっかしこんなに大勢で歩いていると驚きますわな。
P2020101 posted by (C)fronte360
奈良県警察学校のところから南下してようやくゴールです。
P2020102 posted by (C)fronte360
2019年の5回目、人気ハイキング「酒蔵みてある記」でも最大級の人気コース
奈良豊澤酒造「豊祝」へのハイキングに参加しました。
平城宮跡より宮跡庭園を経て佐保川を南下、大安寺、元石清水八幡宮を出ます。
P2020087 posted by (C)fronte360
すると、大安寺の塔の跡がありました。 広大な寺領だったのですね。
P2020092 posted by (C)fronte360
塔は2つあったそうで、上のが東塔、下のが西塔の跡のようです。
P2020091 posted by (C)fronte360
東塔跡の向こうに若草山が見えました。
P2020094 posted by (C)fronte360
このあと左(東)に折れて県道754号線へと出て、南下します。
交通量の多い道を約1.5Km歩きました。
P2020097 posted by (C)fronte360
奈良県道754号線
奈良市の奈良県庁東からJR奈良駅前までの間を除く全線がかつての国道24号である。国道24号奈良バイパスの一部供用開始に伴って1972年(昭和47年)3月22日に木津町市坂・奈良市大森町間が両府県へ移管された。同パイパスの暫定2車線開通後の1977年(昭和52年)11月1日に奈良市大森町・大和郡山市発志院町間が奈良県へ移管された。
(Wikipedia「京都府道・奈良県道754号木津横田線」より)
P2020098 posted by (C)fronte360
大勢の人間が南に向かって歩いているので、ちょうどお昼どき、
お弁当を買いにきていたとおぼしき若いお姉さんに「どこから来たのですか」
と聞かれて「西大寺から帯解の酒蔵まで」と答えると、「西大寺から!」と
たいそう驚いておられました。 だいたいこの辺りで8Kmくらいかしら。
P2020100 posted by (C)fronte360
目印の修理中の歩道橋のところで県道754号線から離れて東の民家のほうへ。
しっかしこんなに大勢で歩いていると驚きますわな。
P2020101 posted by (C)fronte360
奈良県警察学校のところから南下してようやくゴールです。
P2020102 posted by (C)fronte360
2019年02月19日
またまたCDを頂きました(その4)
今朝、またもやNさんがやってこられて、荷物になりますが・・・
とまたまた以下のCDセットを頂きました。
全然聴くのが追い付いてません。 が、毎度ありがたいことです。
感謝・感謝 m(. .)m
P2190444 posted by (C)fronte360
■BMG シベリウス/交響曲全集 コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団(74321 54034 2:5CD)
サー・コリンのシベリウス、定評ありますね。
CD1:
・交響曲第1番ホ短調 Op.39
・交響曲第4番イ短調 Op.63
CD2:
・交響曲第2番ニ長調 Op.43
・交響曲第6番ニ短調 Op.104
CD3:
・交響曲第3番ハ長調 Op.52
・交響曲第5番変ホ長調 Op.82
CD4&5:
・交響曲第7番ハ長調 Op.105
・組曲『恋人』 Op.14
・交響詩『伝説』 Op.9
・クレルヴォ交響曲 Op.7
■BMG ヴォーン・ウィリアムズ/交響曲全集 レナード・スラトキン指揮フィルハーモニア管弦楽団(09026-61460-2:6CD)
息子スラトキン、英国のオケを振ってのRVWってどんなんやろ〜
CD1:
・海の交響曲(交響曲第1番)
CD2:
・ノーフォーク狂詩曲第1番
・タリスの主題による幻想曲
・ロンドン交響曲(交響曲第2番)
CD3:
・グリーンスリーヴズによる幻想曲
・田園交響曲(交響曲第3番)
・交響曲第4番ヘ短調
CD4:
・交響曲第5番ニ長調
・交響曲第6番ホ短調
CD5:
・『海の歌』
・『富める人とラザロ』の5つの異版
・南極交響曲(交響曲第7番)
CD6:
・栄光なるジョンのための華麗な表現
・交響曲第8番ニ短調
・交響曲第9番ホ短調
とまたまた以下のCDセットを頂きました。
全然聴くのが追い付いてません。 が、毎度ありがたいことです。
感謝・感謝 m(. .)m
P2190444 posted by (C)fronte360
■BMG シベリウス/交響曲全集 コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団(74321 54034 2:5CD)
サー・コリンのシベリウス、定評ありますね。
CD1:
・交響曲第1番ホ短調 Op.39
・交響曲第4番イ短調 Op.63
CD2:
・交響曲第2番ニ長調 Op.43
・交響曲第6番ニ短調 Op.104
CD3:
・交響曲第3番ハ長調 Op.52
・交響曲第5番変ホ長調 Op.82
CD4&5:
・交響曲第7番ハ長調 Op.105
・組曲『恋人』 Op.14
・交響詩『伝説』 Op.9
・クレルヴォ交響曲 Op.7
■BMG ヴォーン・ウィリアムズ/交響曲全集 レナード・スラトキン指揮フィルハーモニア管弦楽団(09026-61460-2:6CD)
息子スラトキン、英国のオケを振ってのRVWってどんなんやろ〜
CD1:
・海の交響曲(交響曲第1番)
CD2:
・ノーフォーク狂詩曲第1番
・タリスの主題による幻想曲
・ロンドン交響曲(交響曲第2番)
CD3:
・グリーンスリーヴズによる幻想曲
・田園交響曲(交響曲第3番)
・交響曲第4番ヘ短調
CD4:
・交響曲第5番ニ長調
・交響曲第6番ホ短調
CD5:
・『海の歌』
・『富める人とラザロ』の5つの異版
・南極交響曲(交響曲第7番)
CD6:
・栄光なるジョンのための華麗な表現
・交響曲第8番ニ短調
・交響曲第9番ホ短調
奈良散歩20190202_酒蔵みてある記・豊祝:元石清水八幡宮
近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録。
2019年の5回目、人気ハイキング「酒蔵みてある記」でも最大級の人気コース
奈良豊澤酒造「豊祝」へのハイキングに参加しました。
平城宮跡より大宮通りに出て、宮跡庭園を経て佐保川を南下、大安寺。
ここを出て南下しました。
P2020073 posted by (C)fronte360
大安寺の門より南を見ると、八幡神社・元石清水八幡宮とあります。
P2020075 posted by (C)fronte360
木立ち(鎮守の杜)の中に八幡神社はありました。
八幡神社の門前にはけっこう長い参道が伸びています。
P2020076 posted by (C)fronte360
境内の中は、工事中のようです。 中門および翼楼の解体修理中だそうです。
P2020077 posted by (C)fronte360
工事現場をかわして、石灯籠の間より社殿に向かいます。
P2020079 posted by (C)fronte360
本殿が現れました。
P2020080 posted by (C)fronte360
元石清水八幡宮は、807年(大同2年)8月17日 奈良 南都七大寺の一つである大安寺の鎮守として建立されました。
最澄・空海も修行したと記録される大安寺の僧 行教和尚が遣唐使としての帰途、大分県宇佐神宮の第一祭神 八幡大神(応神天皇)からのお告げで、宇佐神宮より南部大安寺本房第七院石清水房に勧請いたしました。
ほんの一時期を経て、八幡大神は平城天皇の勅命により 現在の位置に祀られたと言われておりますが、その際、手を洗うための水がなかったため、行教和尚が松林の中の磐座を法具で叩いたところ、美しい清水が湧き出し 池を作ったと伝えられております。現在の御霊神社の龍池です。
その後のある日、行教和尚は夢の中で 京都の男山に八幡大神(応神天皇)を祀れというご神託を受け、859年(貞観元年)京都府八幡市に山城石清水八幡宮(男山八幡宮)が建立されます。
この件については、行教和尚が 改めて宇佐神宮へ出向き 男山に八幡大神をお招きしたという説と、大安寺より分神したという二説が語り継がれております。
1113年(天永4年)4月、奈良 興福寺大衆が 当時の習慣に則り、神輿を出して天皇に直訴するが、男山八幡宮は奈良の大安寺から遷座したものだから 共に参加するようにと呼びかけたところ、男山衆は 男山の八幡大神は宇佐神宮から直接 お招きしたもので、大安寺とは関係ない と「本社」を名乗って譲らなかったそうです。
石清水の名前は以前から男山にあったというのが 男山衆の主張なので、その主張と分けるために 元石清水八幡宮の名前が生まれたと言われております。
石清水の湧き出したとされる井戸は、現在も大安寺の北方御霊神社境内に保存されております。
元石清水八幡宮宮司 作 啓造
(「元岩清水八幡宮」HPより)
P2020081 posted by (C)fronte360
P2020083 posted by (C)fronte360
中門の修復現場も戸口より覗いてみました。
P2020084 posted by (C)fronte360
宇佐の八幡宮より勧請された由緒ある神社、でも先を急ぐことにします。
P2020086 posted by (C)fronte360
2019年の5回目、人気ハイキング「酒蔵みてある記」でも最大級の人気コース
奈良豊澤酒造「豊祝」へのハイキングに参加しました。
平城宮跡より大宮通りに出て、宮跡庭園を経て佐保川を南下、大安寺。
ここを出て南下しました。
P2020073 posted by (C)fronte360
大安寺の門より南を見ると、八幡神社・元石清水八幡宮とあります。
P2020075 posted by (C)fronte360
木立ち(鎮守の杜)の中に八幡神社はありました。
八幡神社の門前にはけっこう長い参道が伸びています。
P2020076 posted by (C)fronte360
境内の中は、工事中のようです。 中門および翼楼の解体修理中だそうです。
P2020077 posted by (C)fronte360
工事現場をかわして、石灯籠の間より社殿に向かいます。
P2020079 posted by (C)fronte360
本殿が現れました。
P2020080 posted by (C)fronte360
元石清水八幡宮は、807年(大同2年)8月17日 奈良 南都七大寺の一つである大安寺の鎮守として建立されました。
最澄・空海も修行したと記録される大安寺の僧 行教和尚が遣唐使としての帰途、大分県宇佐神宮の第一祭神 八幡大神(応神天皇)からのお告げで、宇佐神宮より南部大安寺本房第七院石清水房に勧請いたしました。
ほんの一時期を経て、八幡大神は平城天皇の勅命により 現在の位置に祀られたと言われておりますが、その際、手を洗うための水がなかったため、行教和尚が松林の中の磐座を法具で叩いたところ、美しい清水が湧き出し 池を作ったと伝えられております。現在の御霊神社の龍池です。
その後のある日、行教和尚は夢の中で 京都の男山に八幡大神(応神天皇)を祀れというご神託を受け、859年(貞観元年)京都府八幡市に山城石清水八幡宮(男山八幡宮)が建立されます。
この件については、行教和尚が 改めて宇佐神宮へ出向き 男山に八幡大神をお招きしたという説と、大安寺より分神したという二説が語り継がれております。
1113年(天永4年)4月、奈良 興福寺大衆が 当時の習慣に則り、神輿を出して天皇に直訴するが、男山八幡宮は奈良の大安寺から遷座したものだから 共に参加するようにと呼びかけたところ、男山衆は 男山の八幡大神は宇佐神宮から直接 お招きしたもので、大安寺とは関係ない と「本社」を名乗って譲らなかったそうです。
石清水の名前は以前から男山にあったというのが 男山衆の主張なので、その主張と分けるために 元石清水八幡宮の名前が生まれたと言われております。
石清水の湧き出したとされる井戸は、現在も大安寺の北方御霊神社境内に保存されております。
元石清水八幡宮宮司 作 啓造
(「元岩清水八幡宮」HPより)
P2020081 posted by (C)fronte360
P2020083 posted by (C)fronte360
中門の修復現場も戸口より覗いてみました。
P2020084 posted by (C)fronte360
宇佐の八幡宮より勧請された由緒ある神社、でも先を急ぐことにします。
P2020086 posted by (C)fronte360
2019年02月18日
奈良散歩20190202_酒蔵みてある記・豊祝:大安寺
近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録。
2019年の5回目、人気ハイキング「酒蔵みてある記」でも最大級の人気コース
奈良豊澤酒造「豊祝」へのハイキングに参加しました。
平城宮跡よりスタート、大宮通りに出て宮跡庭園を経て佐保川を南下し、
大安寺にやってきました。
P2020057 posted by (C)fronte360
ここも初めての場所、さっそく境内に入りました。
P2020059 posted by (C)fronte360
大安寺
聖徳太子の建てた「熊凝精舎」(くまごりしょうじゃ、「熊凝道場」とも)が官寺となり、その後に移転や改称を繰り返したとされる。平城京に移って大安寺を称した時の伽藍は東大寺、興福寺と並んで壮大であり、東西に2基の七重塔が立ち(七重塔を持つ南都七大寺は他には東大寺のみ)、「南大寺」の別名があった。この時代、東大寺大仏開眼の導師を務めたインド僧・菩提僊那をはじめとする歴史上著名な僧が在籍し、日本仏教史上重要な役割を果たしてきた。
平安時代以後は徐々に衰退し、寛仁元年(1017年)の火災で主要堂塔を焼失して以後は、かつての隆盛を回復することはなかった。現存する大安寺の堂宇はいずれも近世末?近代の再建であり、規模も著しく縮小している。奈良時代にさかのぼる遺品としては、8世紀末頃の制作と思われる木彫仏9体が残るのみである。
現代は癌封じなどに利益(りやく)がある寺と自らを位置付けている。参拝者が、竹筒に入れて温めた日本酒を飲んで健康を祈る「笹酒祭り」は、奈良時代末期の光仁天皇の故事にちなむと伝承されている。
(Wikipedia「大安寺」より)
P2020060 posted by (C)fronte360
石灯籠のところにダルマが並んでますね。
P2020061 posted by (C)fronte360
このダルマさん、おみくじなんですね。 1個300円也。
P2020067 posted by (C)fronte360
大安寺、癌封じ・病気平癒のお寺であったとは知りませんでした。
P2020066 posted by (C)fronte360
さっそく友人のため、お守りとお箸を買い求めました。
P2020063 posted by (C)fronte360
境内にある竹林
P2020069 posted by (C)fronte360
「いのちの小径」があり、竹林の精気を受けて下さい、とのこと。
P2020070 posted by (C)fronte360
また中の石碑は「いのちの碑」だそうで、
心臓病を支えているペースメーカーが埋め込まれていると書かれていました。
P2020071 posted by (C)fronte360
大安寺、南都七大寺としてたいそう栄えていたそうですが、衰退してしまい、
今は発掘調査も進められているとのこと。
2019年の5回目、人気ハイキング「酒蔵みてある記」でも最大級の人気コース
奈良豊澤酒造「豊祝」へのハイキングに参加しました。
平城宮跡よりスタート、大宮通りに出て宮跡庭園を経て佐保川を南下し、
大安寺にやってきました。
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ここも初めての場所、さっそく境内に入りました。
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大安寺
聖徳太子の建てた「熊凝精舎」(くまごりしょうじゃ、「熊凝道場」とも)が官寺となり、その後に移転や改称を繰り返したとされる。平城京に移って大安寺を称した時の伽藍は東大寺、興福寺と並んで壮大であり、東西に2基の七重塔が立ち(七重塔を持つ南都七大寺は他には東大寺のみ)、「南大寺」の別名があった。この時代、東大寺大仏開眼の導師を務めたインド僧・菩提僊那をはじめとする歴史上著名な僧が在籍し、日本仏教史上重要な役割を果たしてきた。
平安時代以後は徐々に衰退し、寛仁元年(1017年)の火災で主要堂塔を焼失して以後は、かつての隆盛を回復することはなかった。現存する大安寺の堂宇はいずれも近世末?近代の再建であり、規模も著しく縮小している。奈良時代にさかのぼる遺品としては、8世紀末頃の制作と思われる木彫仏9体が残るのみである。
現代は癌封じなどに利益(りやく)がある寺と自らを位置付けている。参拝者が、竹筒に入れて温めた日本酒を飲んで健康を祈る「笹酒祭り」は、奈良時代末期の光仁天皇の故事にちなむと伝承されている。
(Wikipedia「大安寺」より)
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石灯籠のところにダルマが並んでますね。
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このダルマさん、おみくじなんですね。 1個300円也。
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大安寺、癌封じ・病気平癒のお寺であったとは知りませんでした。
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さっそく友人のため、お守りとお箸を買い求めました。
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境内にある竹林
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「いのちの小径」があり、竹林の精気を受けて下さい、とのこと。
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また中の石碑は「いのちの碑」だそうで、
心臓病を支えているペースメーカーが埋め込まれていると書かれていました。
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大安寺、南都七大寺としてたいそう栄えていたそうですが、衰退してしまい、
今は発掘調査も進められているとのこと。