近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」に参加して1年。
会員更新を済ませて、今年初めてのハイキング参加記録です。
1月14日、大阪阿部野橋駅長お薦めフリーハイキング
「歩き初め 年始は住吉大社詣りから」を今年第1回目としました。
阿部野橋駅より聖天山公園、正圓寺を訪ねて先へと進みましたが・・・
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ぼけ封じ地蔵尊への頼み方が少なかったようで、アウトコースしてしました。
でも阪堺電車の線路を越えて南下する、基本に立ち反って見事オンコース。
それに気を良くして、寄り道です。
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天下茶屋跡
当地にあった芽木家の跡の一部である。豊臣秀吉が住吉大社や堺に行く途中、紀州街道(住吉街道)沿いにあったこの屋敷で茶会を催したという故事から、天下茶屋という名前が付いた。
江戸時代にはこの屋敷に、紀州藩主をはじめとした諸大名も宿泊したと伝えられる。明治天皇も、住吉行幸の途中立ち寄っている。
約5000平方メートルの敷地に、屋敷や茶室・井戸・池などを備えていたといわれる。しかし1945年の大阪大空襲で焼失した。そのため現在は、屋敷敷地の北西角にあった土蔵などが残るのみとなり、敷地の大半はマンションや住宅になっている。
大阪市は芽木家から土地の一角の提供を受け、顕彰史跡天下茶屋跡として整備した。
(Wikipedia「天下茶屋跡」より)
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コースにもどりますが、この神社にも寄り道です。
天神ノ森天満宮
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中に入ると、石塔が二つ「天下茶屋のあだ討供養塔」だそうです。
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天下茶屋の仇討ち
慶長14年(1609)天下茶屋で起こった仇討ち事件。宇喜田秀家の家臣林重次郎・源三郎兄弟が父のかたき当麻三郎右衛門を追い求め、重次郎は返り討ちとなったが、源三郎が忠僕鵤幸右衛門(いかるがこうえもん)とともに討ち果たした。歌舞伎・浄瑠璃の題材となった。
(コトバンク「天下茶屋の仇討ち」より)
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天下茶屋のあだ討供養塔
慶長三年豊臣秀吉薨ず。天下は秀頼、石田光成方と徳川家康方に二分される。
備前の国宇喜田秀家は秀家側に立ち挙兵するも、その家臣長船紀伊守は家康側につき、腹心の部下当麻三郎衛門をして秀家の家臣林玄番を殺害させた。玄番には重次郎伊織、源次郎の二子があり両人は父の仇を討つ計画をするも兄重次郎は三郎衛門の返り討ちにあい殺害される。
弟源次郎は慶長十四年秀頼が母淀君と共に大挙して住吉大社への参拝の折行列に変名して同伴していた当麻三郎衛門を木村重成、片桐且元等の協力を得て天神森天満宮の南五十米の出口橋にて討ち取り、父と兄の仇討ちの本懐を遂げた。
文政十一年、十二年この橋の袂に供養の為二大宝塔を建立したが道路拡張により昭和三三年に当社内に移された。
(説明板より)
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