近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。
11月10日、第28回目として下市口駅長お薦めフリーハイキング
「神仏霊場会10周年記念
贅沢な大人の山歩き 蔵王堂ご開帳と紅葉に染まる吉野山へ!」です。
如意輪寺を出て、しばらく県道を歩きます。
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天気も良くなってきました。
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トンネルをくぐり、上千本・奥千本方面に歩きます。
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ここから、また坂道となります。
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このハイキング、健脚向け、とありました。
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ひたすら歩くしかないですね、年配の方も歩いてますし・・・
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ここが展望台と思いきや、まだ先だそうです。
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ここに首塚がありました。
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横川の覚範の首塚(よかわのかくはんのくびづか)
この辺の上下が上の千本で、俗に滝ざくらと言われている所です。花の盛りに下の方から見上げると、あたかも花の滝がたぎり落ちるように望まれるので、こう名前が付けられたものでしょう。
さて、この小さな丘が横川の覚範の首塚という伝承をもっています。
文治元年(1185)12月、兄頼朝の怒りに触れた源義経が、武蔵坊弁慶をはじめ、佐藤忠信、伊勢の三郎、常陸坊海尊、鷲尾の七郎、片岡の八郎といった一騎当千のつわものとともに、愛妾静御前を連れて雪の吉野山に潜入し、吉水院(吉水神社)に身を隠していましたが、金峯山寺衆徒の味方を得る事が出来ず、途中で静とも別れ、この上の子守の社水分神社まで逃げ伸びてきましたが、豪僧横川の覚範が追いすがってきたので、家来の一人佐藤忠信が義経の身代わりとなって、中院谷(首塚の後ろの谷)で戦い、この少し上の花矢倉から矢を浴びせ、覚範を討ち取りそのすきに義経一行を落ち延びさせたのでした。そして討たれた覚範の首を埋めたところが、この塚だといわれています。
このことは、「義経記」という本にくわしく描かれています。
吉野町
(現地説明板より)
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急いでも仕方ないので左の道を気合入れて上ります。
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