2018年06月30日

ワインを楽しむ、飛鳥ワイン

濁り新酒
今年のはまだなので2017年産。美味しい!
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ワインを楽しむ、ワインになる前

ブドウ畑です
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ワインを楽しむ、河内ワイン

河内ワイン館で試飲させて貰いましたマティーニ(カクテルグラス)
金食堂は外観を観賞です。
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竹内街道、杜本神社

ハイキングコースから外れ、杜本神社に寄り道。
大楠公首塚がありました!
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竹内街道とワインを楽しむ

梅雨の合間を縫ってのハイキングです。
近鉄南大阪線の古市駅をスタート八分音符 今日はワインの試飲付き八分音符八分音符
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京都フィロムジカ管弦楽団 第43回定期演奏会

日時:2018年6月24日(日) 14:00開演(13:00開場)
場所:京都府長岡京記念文化会館

曲目:メンデルスゾーン/序曲「フィンガルの洞窟」
   別宮貞雄/第3交響曲「春」
   ラフ/交響曲第3番「森にて」

指揮:中村晃之

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フィロムジカらしい知られざる名曲にターゲットを絞ったとても尖った演奏会でした。 そして指揮者の中村晃之さんも、かぶとやま交響楽団を指揮されていた時からだから10年ぶり、久しぶりにサウスポーでキレキレッの指揮姿に接することができました。 最近は東京で活動されているみたいですね。 どの曲も両者ががっぷりと組んで、響きを深めに取りながらもキレとスピード感に満ちた演奏には気迫がありました。

冒頭のメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、チラシにわざわざ「ヘブリディーズ諸島(フィンガルの洞窟)」と書くこだわりが演奏にも垣間見えたようです。 響きを深く、テンポをちょっと遅めにとった開始より、くぐもった印象を覚えたのですけれど、キレがあってもたれません。 速度を上げたクライマックスでは、まるで機械仕掛けの人形のようにカクカクと動く中村さんに率いられて、深い響きだけど重量感なくスパスパと進んでゆくのですね。 これはちょっとない経験でした。 さすが中村&京都フィロムジカ、と妙に納得した演奏でした。

いったん全員が退場したのち、ステージ上にはチェレスタとハープ奏者も加わって別宮貞雄の第3交響曲「春」。 第1・2番の交響曲は単身赴任時代に図書館で借りたNAXOS盤で聴いてましたが、第3番は初めて聴く曲です。 かつて聴いていた事実はあっても印象は残ってないので、ほぼまっさらな気持ちでしたが、聴きやすい曲だな、というのだけは共通かもしれません。 プログラムにも書かれているように、別宮が「書きたいものを素直に書こうとした作品」だったそうで、第1楽章「春の訪れ(あっという間に春はやってくる)」、第2楽章「花は咲き、蝶は舞い…(そして鳥がさえずる。深い山の中の自然の美しさ)」、第3楽章「人は踊る(人々は浮かれ出す)」との標題をそのまま聴きやすい音楽に乗せたような作品。

これを中村&京都フィロムジカのコンビが基本インテンポ(だと思う)でキビキビと進めてゆきます。 のびやかな木管とストリングスが際立った第1楽章、チェレスタとハープの響きを絡ませて森の中を美しく描写した第2楽章、終楽章は音の饗宴ですが中村さんの本領発揮。 整然とキビキビとした音楽が流れ出ては繋がって響き合って聴き応え十分。 響きに厚みはありますが音量ではなくスピードとキレで勝負といった感じ。 最後は中村さんの左アッパーパンチで終了。 尖った響きでしたが親しみやすい音楽でした。

休憩後はスイスの作曲家ラフの交響曲第3番「森にて」、2017年8月オーケストラ・ソノリテ(指揮:ゲオルギ・バブアゼ)で第5番「レノーレ」を聴いて以来のラフの交響曲体験。 もちろん「森にて」は初めてです。 パンフレットによると大きく3部に分かれるとのこと。 そしてそれぞれ昼間(第1部)、夕暮れ時(第2部)、夜(第3部)であるのだとか。 しかし第2部は緩徐楽章と舞曲になっていて、今回の演奏ではここを分けていたので4楽章構成としての演奏となっていました。

明るく快活な第1楽章、各パート集中力を高く保っていて聴きやすい感じ。 編成が大きくないオケながら(たぶん 10-8-6-7-6 の通常配置)金管のバランスも良く、さすが巧いオケだな、と。 第2楽章、ゆったりと夕暮れの雰囲気、クラリネットの哀愁の響きに魅了、中低弦の響きも深くとって軽薄に流れません。 第3楽章へ弦と管が呼応する舞曲でチャイコフスキーみたいでしたね。 そして終楽章、低弦より中音弦、高音弦へと響きが回ったのちホルンの旋律が魅力的。 この後、スピードあげてゆきますが、中村さんらしく緻密なキレの良い動きでリード。 気迫のある音楽でした。 ただどこか淡々とした感じに思えて聴きやすいのだけれど、色々とあって疲れていたこともありましたが、少々睡魔にも襲われてしまいました(すみません)。

知られざる名曲、かつては興味深々で聴いていたのですけどね、寄る年波なんでしょうか。 オケの皆さんはレベルの高い演奏を展開されていたのですが、聴き手としての集中力に限界を感じてちょっと残念でした(ごめんなさい)。 でもこのような知られざる名曲というチャレンジャブルな企画は大賛成です。 ありがとうございました。 またチャレンジさせてください。



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2018年06月29日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 福万寺町市民運動広場

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
木村重成の墓から、山口重信の墓へと詣で、第二寝屋川沿いを東に歩きます。

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水門が見えてきました。
ここを右に折れると、福万寺町市民運動広場だそうです。

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大雨の時に恩智川からの洪水を一時的に貯留させて浸水被害を防ぐため施設で、
上部面を八尾市が管理を引き継いで運動公園として整備されているようです。

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それで土手に囲まれているのですね。

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恩地川に出ました。 この川沿いを今度は南に向かって歩きます。

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新福栄橋東詰の交差点で恩地川を離れて左折、

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東向かってずんずんと歩いて外環状へ

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今度はここを右折して南に少し歩きます。

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このうどん屋の手前を左に折れて山側へと進みます。

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山が近づいてきました。


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2018年06月28日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 山口重信の墓

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
八尾市幸公園の木村重成の墓へ詣でて、公園を出たのですが・・・

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第二寝屋川の川向こうに墓地があるのを発見しました。
さっき「徳川方の武将山口重信の墓と向かい合っていました・・・」と
書かれてありましたよね、ハイキングコースからは外れますが、探検しました。

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墓地に入ると、後ろ向きですが、大きな石柱が立ってますので行ってみました。

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表面の文字は剥落していますが、山口重信の墓ですね。
亀さんの上に石碑が載っていますよ。

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お墓の左側の案内板

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山口伊豆守重信の墓
山口重信は元和元年(1615)「大坂夏の陣」の戦いで、徳川方の武将として豊臣方武将木村重成とこの地で戦い共に戦死しました。
この墓は重信の弟、弘隆により正保四年(1647)重信三十三回忌に建てられました。
三メートル角の礎石の上に亀の背(亀趺)が乗りそのうえに高さ三メートル、幅九十センチ、厚さ四十五センチの墓塔が建てられ銘文には若江堤の戦いの様子が幕府の大学頭 林道春(羅山)の文章を石川丈山の篆刻により刻まれており、篆額上には幡龍二尾を鐫した非常に貴重な墓塔です。
周囲の玉垣は重恒(重信の弟)が、燈籠は家臣の山口忠兵衛重成が承応三年(1654)に、花立は弘隆の嫡男重貞が元禄五年(1692)にそれぞれ寄進したものです。
本体も碑文も当時のままであります。
                    平成十六年四月 若江南墓地管理委員会

お墓の右側の案内板

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山口伊豆守重信と若江の戦い
山口家は周防の守護大内氏の流れをくみ、重信の父但馬守重政が徳川家康より常陸国牛久に領地を与えられ大名となりますが、慶長18年(1613)嫡子重信の婚姻をめぐり幕法に反したとして領地を没収されます。
このため、武功を上げて旧に復するべく、元和元年(1615)大坂夏の陣に井伊掃部守直孝率いる徳川軍(兵3200人)に父子で参戦しました。
5月6日早朝、徳川軍は八尾楽音寺を発し。玉串川から若江堤へと進み、若江に布陣していた木村長門守重成率いる豊臣軍(兵4700人)と壮絶な戦闘を繰り広げました。
これが「若江の戦い」です。
この戦いで、先陣を競い合った重信は木村方の飯島三郎右衛門など5騎を討つ功をあげますが、武運拙く26歳の若さで戦死し、一方豊臣軍は木村重成が井伊方の家臣安藤長三郎に討ち取られ撤退しました。
寛永5年(1628)、重信の武功により父重政に牛久など1万5千石が復され、のち次男但馬守弘隆が本領1万石、三男備前守重恒が5千石を継ぎました。
墓は、兄重信の霊を弔うために弟弘隆が正保4年(1647)に墓碑を建立し、その後さらに弟重恒が承応3年(1654)に石柵を建立。家臣の山口忠兵衛重成が同年に石燈籠を寄進、弘隆の嫡男重貞が元禄5年(1692)に石花瓶を寄進し、現在の姿となりました。
墓碑前の石柱は若江村庄屋西村九郎兵衛の建立です。
                          平成17年2月 東大阪市

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墓地を出てハイキングコースに戻ります。





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2018年06月27日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 木村重成の墓

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
第二寝屋川へと出て東に歩くと、八尾市幸公園に到着。 さっそく中に入りますと

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ピンク色のお魚の滑り台・・・ じゃなくて、こんもりとした繁みに、
木村重成のお墓がありました。

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ハイキングマップの説明文では以下のように書かれていました。

木村重成の墓(きむらしげなりのはか)
木村重成は、1615年(元和元年)大坂夏の陣 若江の戦いで討死した豊臣方の武将です。
以前は徳川方の武将山口重信の墓と向かい合っていましたが、昭和42年第二寝屋川の開削工事によって現在の場所に移されました。

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石碑があり、以下のように書かれています。

 大阪夏の陣で戦死した重成の墓は、もとはここから東五十メートルの地点にあったが、昭和四二年第二寝屋川の開削工事により、その川筋にあったのでここに移された。
 この墓は、宝暦一四年(一七六四)重成の一五〇回忌にあたって、重成の首を落とした安藤長三郎の子孫で、彦根藩士安藤次輝が建てたもので、昭和一四年大阪府の史跡として指定されている。
                       八尾市教育委員会

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お墓も見たので次に向かうこととします。

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2018年06月26日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 第二寝屋川へ

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
蓮城寺を出て、若江鏡神社前を通って南へと向かいます。

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この道をまっすぐ南に歩くと近鉄八尾駅のアリオに行けるのですよね。
プリズムホールの演奏会のあと歩いてきたことがありますが、
今回は第二寝屋川まで歩くことになります。

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途中で発見した石碑、「左 十三越道」「右 大阪道」

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十三越とは、十三峠(じゅうさんとうげ)で奈良の平群に抜ける道ですね。
淀川の十三(じゅうそう)ではありません。

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後ろには「すぐ八尾むら」って書いてあるようです。
その八尾村に向かって歩いて、第二寝屋川。

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ここを渡って東へと進みます。
この辺りで大阪夏の陣、八尾・若江の戦いがあったのでしょうね。

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次なるポイント、八尾市幸公園に到着。

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ここにも木村重成の文字がありますね。

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2018年06月25日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 蓮城寺

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
若江鏡神社の境内を抜けたお隣が目的地です。

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ハイキングマップには以下のように記載されていました。

蓮城寺(れんじょうじ)
日蓮宗の寺院で1644年(正保元年)焼失。
いろいろな宗派の遊行僧が再興をはかるがならず、1693年(元禄6年)、蓮性院日相上人(れんしょういんにっそうしょうにん)が再建しました。 また木村重成の位牌がまつられています。

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木村重成の位牌は、門を入ったすぐ右の位牌堂にまつられていました。

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油絵でしょうか、木村重成の肖像画が正面にあり、位牌は右側にあります。
卒塔婆で見えませんが、妻の青柳のものも一緒に並んでいました。

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木村重成については、→ ココ が詳しいですね。

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鏡神社には何度か訪れていて、蓮城寺の前も何度か通ったのですが、
境内に入ったのは初めて、位牌堂があるのも知りませんでした。
ハイキングは勉強にもなりますね。

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次なる目的地目指してまた歩くことにします。


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2018年06月24日

バイオパワー水中フィルター

我が家の玄関のアイドル、金魚ちゃん(金魚ぴょん、とも)
長男が小学生の頃、友達から貰ってきた金魚すくいの金魚の子供。 2代目。
偶然、卵を産んでいたのを見つけて孵化させたのが、こんなに大きくなりました。

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ほんと、金魚としてはデカイでしょ!! 体長25cm近くあります。
が、5月に高知に行ったりして水交換をサボっていたため細菌性感染症となり、
口元に大きな袋状の突起物が出来て、それが拡大してしまってピンチでした。

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目の手前まで紅色に変色し、慌てて薬剤を入れたので水が黄色くなってます。
こんなの初めてでしたが、長男の適切なアドバイスで持ち直しました。

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また長男の話では、金魚の大型のフンに沪過が追い付いていない事より、
バイオパワー水中フィルターが送られてきました。
ようやく休みになったので交換。

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小さな文字で、また解り難い説明書を見ながら、分解・水洗い・組立て。
水も4分の3ほど交換して、運転開始。 勢いよく酸素を噴き出しました。

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いきなりで金魚ぴょんには迷惑かもしれませんが、病気で苦しむのはね、
もう見たくないし・・・慣れるまでガマンしてね。

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ちょっと解り難いけど、口元がまだちょっと赤くなってますけどね、
一時は、ちょうちんみたいに膨れてましたもの・・・ よく取れたものだ。

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活性炭(金魚の下の木炭)も3本入れてあります。

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玄関のアイドル。 しばらくこれで様子を見ましょう。






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2018年06月23日

(2018年)7月の関西アマオケコンサート情報

2018年7月に、京阪神で開催されるアマオケ関連の演奏会について投稿します。

まだまだあると思いますけど、気付いたところで、個人的に興味あるところをピックアップしています。

この他にもありましたら、本家サイトの掲示板やコメントにて投稿をお願いします。こちらにも転載したいと思います(が、なかなか意気込みに反して動けないのが実情ですが)


7/1:天理シティーオーケストラ 第18回定期演奏会
7/1:アンサンブル・コスモリバティ 第28回定期演奏会
7/1:大阪府医師会フィルハーモニー 第48回定期演奏会
7/1:樹フィルハーモニー管弦楽団 第3回定期演奏会
7/7:兵庫県立大学ストリングオーケストラ部 サマーコンサート2018
7/7:同志社交響楽団・立教大学交響楽団 第57回同立交歓演奏会
7/7:オーケストラ・クラシーク 第7回定期演奏会
7/14:衣笠交響楽団 第26回定期公演
7/15:やまなみグリーネ管弦楽団 第33回定期演奏会
7/21:大阪モーツァルトアンサンブル 第67回定期演奏会
7/22:堺フィルハーモニー交響楽団 第44回定期演奏会
7/29:シンフォニア・スピカ 第1回定期演奏会


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(2018年)6月の関西アマオケコンサート情報(中止)

6月18日朝に発生しました、大阪・北摂地方を震源とする地震の影響のため、6月24日(日)に予定しておりました高槻フィルハーモニーオーケストラ「サマーコンサート2018」は中止となりました。

高槻フィルハーモニーオーケストラ

 
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2018年06月22日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 若江鏡神社

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
若江城跡を見て、寄り道で美女堂氏遺愛碑も見たので、次のポイントへ。

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若江鏡神社の境内へと進みます。
この境内を抜けた隣がポイントなんですが(この神社は経路扱いですが)
ここも由緒正しい古社、ここも何度か来ていますがここから入るの初めてです。

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創建年代は不詳ながら延喜式内の古社、
斉衡元年(854年)に記された書物に『河内之国大雷火明之神従五位下』とあり、
少なくとも1200年近くこの地に鎮座されているようです。

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P6161234 posted by (C)fronte360

神社及び数多くの宝物は、大阪夏の陣の兵火で焼失したとのことですが、
石灯籠など見て回ると、江戸時代のものが多数残っていることより、
以降もまた地元の崇敬を集めていたものと考えられます。

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社殿左にある末社・天照皇大神社、ここの狛犬さんがいいんですねぇ。

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左の狛犬さんには角が生えてるんですよね。 しかし、いい顔してるな。

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なおこの神社には「雷の手形石」というものがあるそうです。
その昔、雷が誤ってご神前に落ちてしまったそうです。
神の前に落ちるとは何事か、と怒りにふれ、雷は天に返してもらえなくなり、
そこで今後、決してこの村には落ちない、という約束をして、
その印として手形を残したのが「雷の手形石」だそうです。
(元の大阪日日新聞の記事は消えてました)

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さあて次なる目的地へと進みましょう。

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2018年06月21日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 若江城跡・美女堂氏遺愛碑

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
楠根川ぞいを歩いて北上、府道21号大阪東大阪線に出て東へ進みます。

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歩道の脇に最初のポイント、若江城跡の碑。 何度か来たことありますね。
ハイキングマップに書かれた説明文は以下のとおりです。

若江城跡(わかえじょうあと)
若江城は南北朝時代に河内に進出、河内国守護職となった畠山氏により築城されました。 15世紀の中ごろ畠山氏の家督をめぐる争いは戦国時代の口火となりました。 1573年(天正元年)天下統一をめざす織田信長は足利氏最後の将軍義昭を追って若江城を攻めています。

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実際には道路を隔てた北側にある公民館分館付近が中央部だったようですね。
本丸などの主要部は東西が約130m、南北が約150mの20,000uほど・・・
とwikiには書いてあります。 ここからハイキングマップを離れて寄り道です。

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P6161224 posted by (C)fronte360

押しポタンの横断歩道を渡って北側の歩道に行きます。
左側のプレートが「若江城跡」
クリックすると大きな画面で確認することができます。

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若江城は、南北朝時代の争乱期(十四世紀末)に、幕府の命令により河内国内の武士の統率と取り締まりのため、河内国守護に任じられた畠山基国が、北朝方の拠点として築いた城郭と考えられ、永徳二年(1382)から天正元年(1573)までの約二世紀間、河内国守護の政庁の役割を果たしてました。
畠山氏は、満家・持国に継がれ、このあと政長と義就に義兄弟の家督争いは、有名な応仁の乱へと発展し、やがて支配は細川氏から三好氏へ移り、永禄十一年(1568)には畿内を平定した織田信長が三好義継を若江城主に、畠山高政を高屋城主としました。
城は石山本願寺攻撃の拠点として使われましたが、和議が成立し、城の役割を終えて廃城となり、歴史から姿を消すことになりました。
若江城の跡は、昭和47年以来の発掘調査で、次第に明らかになってきており、若江公民館分館を中心として、周辺から二重の堀や土塁・各種建物・溝・井戸などの跡や、瓦類・土器類・武器類など、多数の城跡の存在を裏付ける資料が出土しています。
(平成8年1月 東大阪市)

そして右側の石碑とプレートが「美女堂氏遺愛碑(びんどうしいあいひ)」

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P6161226 posted by (C)fronte360

こちらもクリックすると大きな画面で確認することができます。

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P6161225 posted by (C)fronte360

この碑は、平成4年4月に、東大阪市若江北町の杉山一彦邸内あったものを、同氏の申し出によって、この地に移されたものです。
碑の高さは105cm、幅65cm、厚さ31cmで、用材は和泉砂岩です。文面を見ると、天保二年(1831)4月に美女堂勝喜氏が、掛川の十東遠氏に文を作らせ、美女堂氏の系譜と懐古の情を禁じ得ず、建立したことが分かります。
碑の表面の文章を要約すると、若江北町には古くから美女堂氏という旧家が四戸あり、この頃(天保二年)には、既に二戸は転居し、吉左衛門の一家ののみが栄えていました。これに対し、勝喜の家の跡には老松だけが茂るだけで、懐古の情が湧き、この碑を建てた、と記されています。
大正時代に出版された「中河内郡誌」によると、摂津源氏として活躍した源満仲が、四男美女丸のために、若江北町にある美女山薬師寺(巨摩堂ともいう)を建立し、子孫は美女堂と名乗った、と記されています。また、子孫は改姓して藤原氏となって、大阪に移住したとも書かれています。
このように美女堂氏の由来が書かれた名族由来の顕彰碑は、貴重な資料であり、若江に関する資料として大切にしたいものです。
(平成5年12月 東大阪市)

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さて、横断歩道を戻ってハイキングのコースに戻ります。
軽自動車が入ってゆく脇道を今度は南へと進みます。


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2018年06月20日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 楠根川ぞいを歩く歩く

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
穴太神社への寄り道のあと、府道21号八尾枚方線に戻って北上

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P6161214 posted by (C)fronte360

楠根川にかかる萱振橋の手前を左に折れて川沿いに歩きます。

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梅雨とは思えないほどの晴天と乾いた風が心地よい上々のハイキング日和。

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ですが、延々と日陰のないなかを歩く、歩く、歩く・・・
長袖着るべきでした。 日焼けしちゃいます。

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右手に生駒山を遠くに臨み、
左手には近畿大学付属中学高校の校舎ですね。 左側の白い建物。

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ようやく府道21号大阪東大阪線へと出て巨摩橋を渡って東へと進みます。
巨摩橋の上より今まで歩いてきた楠根川を振り返ります。

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府道21号大阪東大阪線、この道は何度か歩いたことがあります。
近鉄ハイキングに参加するずっと以前、
この界隈を勝手に東大阪散歩などと称して歩き回っていました。

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P6161220 posted by (C)fronte360

よってこの先の今回のハイキングポイントも何度か見ていたりします。
が、とにかく進みます。 ここから先、街路樹のありがたみを知りました。




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2018年06月19日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 穴太神社(あのうじんじゃ)

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
近鉄大阪線久宝寺口駅よりスタート、さっそく寄り道で穴太神社に行きました。

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祭神は、天照皇大御神、住吉四神(上筒男命・中筒男命・底筒男命・神功皇后)、
春日四神(建御賀豆智命・伊波比主命・天子八根命・比売神)です。
こられ九神を合せて”穴太大神”と称すると書かれていました。

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境内には市の保全樹木に指定されているクスノキが聳え立ち、
うっそうとしたクスノキと社殿の間には遥拝所が設けられていました。

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境内社として、半九郎稲荷大明神。

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神社の「由緒」としては、以下が書かれていました。

 当社は旧若江郡式内社の中にて、安康天皇の設けられた御名代部の一つ穴穂部の地にして、聖徳太子の生母、間人穴穂部皇后の生地であり、成人された地であって、その産土神として奉斎せられ来たと伝えられる。
 古来、宝物・古記録等豊富であったが、後世回録の災に罹り総て焼失したので創建年月は不詳であるが、古名社の一つである。
 昭和五十七年十月旧社殿の老朽著しく、穴太旧村二十五戸を始め氏子民崇敬者の努力により、千木高々に新社殿を竣功相成って御遷座仕へ奉って、結構壮麗今日に至る。
 又、境内来たにある末社稲荷社も同じく新殿竣功相成って御遷座仕へ奉り今日に至る。半九郎稲荷大神と称えられ、穴太大神と共に広く氏子・崇敬者の護りの神と仰ぎ奉らる。

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P6161213 posted by (C)fronte360

寄り道がすぎました、先へと進むことにします。

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2018年06月18日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 久宝寺口よりスタート

久しぶりに近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

参加第13回目は4月14日、樫原線石見駅からの「日本のはじまりウォーク」
第14回目は5月26日、大和西大寺駅から「西大寺・秋篠寺から平城宮跡へ」
これらは省略して、6月16日に第15回目として
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
に参加しました。 集合場所は、近鉄大阪線の久宝寺口駅。

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P6161197 posted by (C)fronte360

集合時間9:30〜11:00でしたが10時過ぎに到着。 すぐに地図を頂けました。

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今回のコース、ハイキングに参加するようになる前にも訪れた地もあり、
また木村重成など興味ある人物ですので心も軽くスタートです。

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P6161199 posted by (C)fronte360

近鉄大阪線の線路にそって八尾駅方面に歩き、

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穴太南(あのうみなみ)交差点より北上。
まっすぐ進むと東大阪へとつながる府道21号八尾枚方線。

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P6161202 posted by (C)fronte360

穴太(あのう)交差点で右を見たら、神社がありました。
ハイキング地図にはマークだけで説明のないポイントですが、さっそく寄り道。

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P6161203 posted by (C)fronte360

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P6161204 posted by (C)fronte360

穴太神社、廃千眼寺跡

 当地域は安康天皇の設けられた穴穂部の地、聖徳太子の生母間人穴太部皇后の成人の地と言われる。
 当社は古代氏族穴太氏の一族の祖神を祭る産土神で、境内に残る寺跡はその氏寺であったと考えられる。童子は河内鑑名所記、和漢三才図会に名刹千眼寺として紹介されている。
 この社の付近一帯はそのむかし大集落繁栄がうかがわれ、これまで奈良時代から室町にかけて住居跡の埋没が確認され、昭和五十六年の調査で多くの遺物が発掘されている。

                     八尾市教育委員会

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P6161205 posted by (C)fronte360

何はともあれ境内へと進みます。

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2018年06月17日

我が家の

琵琶
こちらも小さい🎵
子供が小さい頃、食べた琵琶の種を植えて、木になって実をつけました。
一昨年だったかに実を付けたのに気付きましたが、ほんの少しの量で、あっという間に鳥に食べられたのですが・・・
今年は多く実って鳥の被害もなく収穫できました。
爽やかな酸味が特徴ですね。
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