濁り新酒
今年のはまだなので2017年産。美味しい
2018年06月30日
京都フィロムジカ管弦楽団 第43回定期演奏会
日時:2018年6月24日(日) 14:00開演(13:00開場)
場所:京都府長岡京記念文化会館
曲目:メンデルスゾーン/序曲「フィンガルの洞窟」
別宮貞雄/第3交響曲「春」
ラフ/交響曲第3番「森にて」
指揮:中村晃之
P6251348 posted by (C)fronte360
フィロムジカらしい知られざる名曲にターゲットを絞ったとても尖った演奏会でした。 そして指揮者の中村晃之さんも、かぶとやま交響楽団を指揮されていた時からだから10年ぶり、久しぶりにサウスポーでキレキレッの指揮姿に接することができました。 最近は東京で活動されているみたいですね。 どの曲も両者ががっぷりと組んで、響きを深めに取りながらもキレとスピード感に満ちた演奏には気迫がありました。
冒頭のメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、チラシにわざわざ「ヘブリディーズ諸島(フィンガルの洞窟)」と書くこだわりが演奏にも垣間見えたようです。 響きを深く、テンポをちょっと遅めにとった開始より、くぐもった印象を覚えたのですけれど、キレがあってもたれません。 速度を上げたクライマックスでは、まるで機械仕掛けの人形のようにカクカクと動く中村さんに率いられて、深い響きだけど重量感なくスパスパと進んでゆくのですね。 これはちょっとない経験でした。 さすが中村&京都フィロムジカ、と妙に納得した演奏でした。
いったん全員が退場したのち、ステージ上にはチェレスタとハープ奏者も加わって別宮貞雄の第3交響曲「春」。 第1・2番の交響曲は単身赴任時代に図書館で借りたNAXOS盤で聴いてましたが、第3番は初めて聴く曲です。 かつて聴いていた事実はあっても印象は残ってないので、ほぼまっさらな気持ちでしたが、聴きやすい曲だな、というのだけは共通かもしれません。 プログラムにも書かれているように、別宮が「書きたいものを素直に書こうとした作品」だったそうで、第1楽章「春の訪れ(あっという間に春はやってくる)」、第2楽章「花は咲き、蝶は舞い…(そして鳥がさえずる。深い山の中の自然の美しさ)」、第3楽章「人は踊る(人々は浮かれ出す)」との標題をそのまま聴きやすい音楽に乗せたような作品。
これを中村&京都フィロムジカのコンビが基本インテンポ(だと思う)でキビキビと進めてゆきます。 のびやかな木管とストリングスが際立った第1楽章、チェレスタとハープの響きを絡ませて森の中を美しく描写した第2楽章、終楽章は音の饗宴ですが中村さんの本領発揮。 整然とキビキビとした音楽が流れ出ては繋がって響き合って聴き応え十分。 響きに厚みはありますが音量ではなくスピードとキレで勝負といった感じ。 最後は中村さんの左アッパーパンチで終了。 尖った響きでしたが親しみやすい音楽でした。
休憩後はスイスの作曲家ラフの交響曲第3番「森にて」、2017年8月オーケストラ・ソノリテ(指揮:ゲオルギ・バブアゼ)で第5番「レノーレ」を聴いて以来のラフの交響曲体験。 もちろん「森にて」は初めてです。 パンフレットによると大きく3部に分かれるとのこと。 そしてそれぞれ昼間(第1部)、夕暮れ時(第2部)、夜(第3部)であるのだとか。 しかし第2部は緩徐楽章と舞曲になっていて、今回の演奏ではここを分けていたので4楽章構成としての演奏となっていました。
明るく快活な第1楽章、各パート集中力を高く保っていて聴きやすい感じ。 編成が大きくないオケながら(たぶん 10-8-6-7-6 の通常配置)金管のバランスも良く、さすが巧いオケだな、と。 第2楽章、ゆったりと夕暮れの雰囲気、クラリネットの哀愁の響きに魅了、中低弦の響きも深くとって軽薄に流れません。 第3楽章へ弦と管が呼応する舞曲でチャイコフスキーみたいでしたね。 そして終楽章、低弦より中音弦、高音弦へと響きが回ったのちホルンの旋律が魅力的。 この後、スピードあげてゆきますが、中村さんらしく緻密なキレの良い動きでリード。 気迫のある音楽でした。 ただどこか淡々とした感じに思えて聴きやすいのだけれど、色々とあって疲れていたこともありましたが、少々睡魔にも襲われてしまいました(すみません)。
知られざる名曲、かつては興味深々で聴いていたのですけどね、寄る年波なんでしょうか。 オケの皆さんはレベルの高い演奏を展開されていたのですが、聴き手としての集中力に限界を感じてちょっと残念でした(ごめんなさい)。 でもこのような知られざる名曲というチャレンジャブルな企画は大賛成です。 ありがとうございました。 またチャレンジさせてください。
場所:京都府長岡京記念文化会館
曲目:メンデルスゾーン/序曲「フィンガルの洞窟」
別宮貞雄/第3交響曲「春」
ラフ/交響曲第3番「森にて」
指揮:中村晃之
P6251348 posted by (C)fronte360
フィロムジカらしい知られざる名曲にターゲットを絞ったとても尖った演奏会でした。 そして指揮者の中村晃之さんも、かぶとやま交響楽団を指揮されていた時からだから10年ぶり、久しぶりにサウスポーでキレキレッの指揮姿に接することができました。 最近は東京で活動されているみたいですね。 どの曲も両者ががっぷりと組んで、響きを深めに取りながらもキレとスピード感に満ちた演奏には気迫がありました。
冒頭のメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、チラシにわざわざ「ヘブリディーズ諸島(フィンガルの洞窟)」と書くこだわりが演奏にも垣間見えたようです。 響きを深く、テンポをちょっと遅めにとった開始より、くぐもった印象を覚えたのですけれど、キレがあってもたれません。 速度を上げたクライマックスでは、まるで機械仕掛けの人形のようにカクカクと動く中村さんに率いられて、深い響きだけど重量感なくスパスパと進んでゆくのですね。 これはちょっとない経験でした。 さすが中村&京都フィロムジカ、と妙に納得した演奏でした。
いったん全員が退場したのち、ステージ上にはチェレスタとハープ奏者も加わって別宮貞雄の第3交響曲「春」。 第1・2番の交響曲は単身赴任時代に図書館で借りたNAXOS盤で聴いてましたが、第3番は初めて聴く曲です。 かつて聴いていた事実はあっても印象は残ってないので、ほぼまっさらな気持ちでしたが、聴きやすい曲だな、というのだけは共通かもしれません。 プログラムにも書かれているように、別宮が「書きたいものを素直に書こうとした作品」だったそうで、第1楽章「春の訪れ(あっという間に春はやってくる)」、第2楽章「花は咲き、蝶は舞い…(そして鳥がさえずる。深い山の中の自然の美しさ)」、第3楽章「人は踊る(人々は浮かれ出す)」との標題をそのまま聴きやすい音楽に乗せたような作品。
これを中村&京都フィロムジカのコンビが基本インテンポ(だと思う)でキビキビと進めてゆきます。 のびやかな木管とストリングスが際立った第1楽章、チェレスタとハープの響きを絡ませて森の中を美しく描写した第2楽章、終楽章は音の饗宴ですが中村さんの本領発揮。 整然とキビキビとした音楽が流れ出ては繋がって響き合って聴き応え十分。 響きに厚みはありますが音量ではなくスピードとキレで勝負といった感じ。 最後は中村さんの左アッパーパンチで終了。 尖った響きでしたが親しみやすい音楽でした。
休憩後はスイスの作曲家ラフの交響曲第3番「森にて」、2017年8月オーケストラ・ソノリテ(指揮:ゲオルギ・バブアゼ)で第5番「レノーレ」を聴いて以来のラフの交響曲体験。 もちろん「森にて」は初めてです。 パンフレットによると大きく3部に分かれるとのこと。 そしてそれぞれ昼間(第1部)、夕暮れ時(第2部)、夜(第3部)であるのだとか。 しかし第2部は緩徐楽章と舞曲になっていて、今回の演奏ではここを分けていたので4楽章構成としての演奏となっていました。
明るく快活な第1楽章、各パート集中力を高く保っていて聴きやすい感じ。 編成が大きくないオケながら(たぶん 10-8-6-7-6 の通常配置)金管のバランスも良く、さすが巧いオケだな、と。 第2楽章、ゆったりと夕暮れの雰囲気、クラリネットの哀愁の響きに魅了、中低弦の響きも深くとって軽薄に流れません。 第3楽章へ弦と管が呼応する舞曲でチャイコフスキーみたいでしたね。 そして終楽章、低弦より中音弦、高音弦へと響きが回ったのちホルンの旋律が魅力的。 この後、スピードあげてゆきますが、中村さんらしく緻密なキレの良い動きでリード。 気迫のある音楽でした。 ただどこか淡々とした感じに思えて聴きやすいのだけれど、色々とあって疲れていたこともありましたが、少々睡魔にも襲われてしまいました(すみません)。
知られざる名曲、かつては興味深々で聴いていたのですけどね、寄る年波なんでしょうか。 オケの皆さんはレベルの高い演奏を展開されていたのですが、聴き手としての集中力に限界を感じてちょっと残念でした(ごめんなさい)。 でもこのような知られざる名曲というチャレンジャブルな企画は大賛成です。 ありがとうございました。 またチャレンジさせてください。
2018年06月29日
大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 福万寺町市民運動広場
近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。
6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
木村重成の墓から、山口重信の墓へと詣で、第二寝屋川沿いを東に歩きます。
P6161276 posted by (C)fronte360
水門が見えてきました。
ここを右に折れると、福万寺町市民運動広場だそうです。
P6161278 posted by (C)fronte360
P6161279 posted by (C)fronte360
大雨の時に恩智川からの洪水を一時的に貯留させて浸水被害を防ぐため施設で、
上部面を八尾市が管理を引き継いで運動公園として整備されているようです。
P6161280 posted by (C)fronte360
それで土手に囲まれているのですね。
P6161282 posted by (C)fronte360
P6161283 posted by (C)fronte360
P6161285 posted by (C)fronte360
恩地川に出ました。 この川沿いを今度は南に向かって歩きます。
P6161284 posted by (C)fronte360
P6161287 posted by (C)fronte360
新福栄橋東詰の交差点で恩地川を離れて左折、
P6161288 posted by (C)fronte360
東向かってずんずんと歩いて外環状へ
P6161290 posted by (C)fronte360
今度はここを右折して南に少し歩きます。
P6161291 posted by (C)fronte360
このうどん屋の手前を左に折れて山側へと進みます。
P6161292 posted by (C)fronte360
P6161294 posted by (C)fronte360
山が近づいてきました。
6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
木村重成の墓から、山口重信の墓へと詣で、第二寝屋川沿いを東に歩きます。
P6161276 posted by (C)fronte360
水門が見えてきました。
ここを右に折れると、福万寺町市民運動広場だそうです。
P6161278 posted by (C)fronte360
P6161279 posted by (C)fronte360
大雨の時に恩智川からの洪水を一時的に貯留させて浸水被害を防ぐため施設で、
上部面を八尾市が管理を引き継いで運動公園として整備されているようです。
P6161280 posted by (C)fronte360
それで土手に囲まれているのですね。
P6161282 posted by (C)fronte360
P6161283 posted by (C)fronte360
P6161285 posted by (C)fronte360
恩地川に出ました。 この川沿いを今度は南に向かって歩きます。
P6161284 posted by (C)fronte360
P6161287 posted by (C)fronte360
新福栄橋東詰の交差点で恩地川を離れて左折、
P6161288 posted by (C)fronte360
東向かってずんずんと歩いて外環状へ
P6161290 posted by (C)fronte360
今度はここを右折して南に少し歩きます。
P6161291 posted by (C)fronte360
このうどん屋の手前を左に折れて山側へと進みます。
P6161292 posted by (C)fronte360
P6161294 posted by (C)fronte360
山が近づいてきました。
2018年06月28日
大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 山口重信の墓
近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。
6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
八尾市幸公園の木村重成の墓へ詣でて、公園を出たのですが・・・
P6161268 posted by (C)fronte360
第二寝屋川の川向こうに墓地があるのを発見しました。
さっき「徳川方の武将山口重信の墓と向かい合っていました・・・」と
書かれてありましたよね、ハイキングコースからは外れますが、探検しました。
P6161274 posted by (C)fronte360
墓地に入ると、後ろ向きですが、大きな石柱が立ってますので行ってみました。
P6161273 posted by (C)fronte360
表面の文字は剥落していますが、山口重信の墓ですね。
亀さんの上に石碑が載っていますよ。
P6161269 posted by (C)fronte360
P6161271 posted by (C)fronte360
お墓の左側の案内板
P6161270 posted by (C)fronte360
山口伊豆守重信の墓
山口重信は元和元年(1615)「大坂夏の陣」の戦いで、徳川方の武将として豊臣方武将木村重成とこの地で戦い共に戦死しました。
この墓は重信の弟、弘隆により正保四年(1647)重信三十三回忌に建てられました。
三メートル角の礎石の上に亀の背(亀趺)が乗りそのうえに高さ三メートル、幅九十センチ、厚さ四十五センチの墓塔が建てられ銘文には若江堤の戦いの様子が幕府の大学頭 林道春(羅山)の文章を石川丈山の篆刻により刻まれており、篆額上には幡龍二尾を鐫した非常に貴重な墓塔です。
周囲の玉垣は重恒(重信の弟)が、燈籠は家臣の山口忠兵衛重成が承応三年(1654)に、花立は弘隆の嫡男重貞が元禄五年(1692)にそれぞれ寄進したものです。
本体も碑文も当時のままであります。
平成十六年四月 若江南墓地管理委員会
お墓の右側の案内板
P6161272 posted by (C)fronte360
山口伊豆守重信と若江の戦い
山口家は周防の守護大内氏の流れをくみ、重信の父但馬守重政が徳川家康より常陸国牛久に領地を与えられ大名となりますが、慶長18年(1613)嫡子重信の婚姻をめぐり幕法に反したとして領地を没収されます。
このため、武功を上げて旧に復するべく、元和元年(1615)大坂夏の陣に井伊掃部守直孝率いる徳川軍(兵3200人)に父子で参戦しました。
5月6日早朝、徳川軍は八尾楽音寺を発し。玉串川から若江堤へと進み、若江に布陣していた木村長門守重成率いる豊臣軍(兵4700人)と壮絶な戦闘を繰り広げました。
これが「若江の戦い」です。
この戦いで、先陣を競い合った重信は木村方の飯島三郎右衛門など5騎を討つ功をあげますが、武運拙く26歳の若さで戦死し、一方豊臣軍は木村重成が井伊方の家臣安藤長三郎に討ち取られ撤退しました。
寛永5年(1628)、重信の武功により父重政に牛久など1万5千石が復され、のち次男但馬守弘隆が本領1万石、三男備前守重恒が5千石を継ぎました。
墓は、兄重信の霊を弔うために弟弘隆が正保4年(1647)に墓碑を建立し、その後さらに弟重恒が承応3年(1654)に石柵を建立。家臣の山口忠兵衛重成が同年に石燈籠を寄進、弘隆の嫡男重貞が元禄5年(1692)に石花瓶を寄進し、現在の姿となりました。
墓碑前の石柱は若江村庄屋西村九郎兵衛の建立です。
平成17年2月 東大阪市
P6161275 posted by (C)fronte360
墓地を出てハイキングコースに戻ります。
6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
八尾市幸公園の木村重成の墓へ詣でて、公園を出たのですが・・・
P6161268 posted by (C)fronte360
第二寝屋川の川向こうに墓地があるのを発見しました。
さっき「徳川方の武将山口重信の墓と向かい合っていました・・・」と
書かれてありましたよね、ハイキングコースからは外れますが、探検しました。
P6161274 posted by (C)fronte360
墓地に入ると、後ろ向きですが、大きな石柱が立ってますので行ってみました。
P6161273 posted by (C)fronte360
表面の文字は剥落していますが、山口重信の墓ですね。
亀さんの上に石碑が載っていますよ。
P6161269 posted by (C)fronte360
P6161271 posted by (C)fronte360
お墓の左側の案内板
P6161270 posted by (C)fronte360
山口伊豆守重信の墓
山口重信は元和元年(1615)「大坂夏の陣」の戦いで、徳川方の武将として豊臣方武将木村重成とこの地で戦い共に戦死しました。
この墓は重信の弟、弘隆により正保四年(1647)重信三十三回忌に建てられました。
三メートル角の礎石の上に亀の背(亀趺)が乗りそのうえに高さ三メートル、幅九十センチ、厚さ四十五センチの墓塔が建てられ銘文には若江堤の戦いの様子が幕府の大学頭 林道春(羅山)の文章を石川丈山の篆刻により刻まれており、篆額上には幡龍二尾を鐫した非常に貴重な墓塔です。
周囲の玉垣は重恒(重信の弟)が、燈籠は家臣の山口忠兵衛重成が承応三年(1654)に、花立は弘隆の嫡男重貞が元禄五年(1692)にそれぞれ寄進したものです。
本体も碑文も当時のままであります。
平成十六年四月 若江南墓地管理委員会
お墓の右側の案内板
P6161272 posted by (C)fronte360
山口伊豆守重信と若江の戦い
山口家は周防の守護大内氏の流れをくみ、重信の父但馬守重政が徳川家康より常陸国牛久に領地を与えられ大名となりますが、慶長18年(1613)嫡子重信の婚姻をめぐり幕法に反したとして領地を没収されます。
このため、武功を上げて旧に復するべく、元和元年(1615)大坂夏の陣に井伊掃部守直孝率いる徳川軍(兵3200人)に父子で参戦しました。
5月6日早朝、徳川軍は八尾楽音寺を発し。玉串川から若江堤へと進み、若江に布陣していた木村長門守重成率いる豊臣軍(兵4700人)と壮絶な戦闘を繰り広げました。
これが「若江の戦い」です。
この戦いで、先陣を競い合った重信は木村方の飯島三郎右衛門など5騎を討つ功をあげますが、武運拙く26歳の若さで戦死し、一方豊臣軍は木村重成が井伊方の家臣安藤長三郎に討ち取られ撤退しました。
寛永5年(1628)、重信の武功により父重政に牛久など1万5千石が復され、のち次男但馬守弘隆が本領1万石、三男備前守重恒が5千石を継ぎました。
墓は、兄重信の霊を弔うために弟弘隆が正保4年(1647)に墓碑を建立し、その後さらに弟重恒が承応3年(1654)に石柵を建立。家臣の山口忠兵衛重成が同年に石燈籠を寄進、弘隆の嫡男重貞が元禄5年(1692)に石花瓶を寄進し、現在の姿となりました。
墓碑前の石柱は若江村庄屋西村九郎兵衛の建立です。
平成17年2月 東大阪市
P6161275 posted by (C)fronte360
墓地を出てハイキングコースに戻ります。
2018年06月27日
大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 木村重成の墓
近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。
6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
第二寝屋川へと出て東に歩くと、八尾市幸公園に到着。 さっそく中に入りますと
P6161265 posted by (C)fronte360
ピンク色のお魚の滑り台・・・ じゃなくて、こんもりとした繁みに、
木村重成のお墓がありました。
P6161261 posted by (C)fronte360
ハイキングマップの説明文では以下のように書かれていました。
木村重成の墓(きむらしげなりのはか)
木村重成は、1615年(元和元年)大坂夏の陣 若江の戦いで討死した豊臣方の武将です。
以前は徳川方の武将山口重信の墓と向かい合っていましたが、昭和42年第二寝屋川の開削工事によって現在の場所に移されました。
P6161262 posted by (C)fronte360
P6161263 posted by (C)fronte360
石碑があり、以下のように書かれています。
大阪夏の陣で戦死した重成の墓は、もとはここから東五十メートルの地点にあったが、昭和四二年第二寝屋川の開削工事により、その川筋にあったのでここに移された。
この墓は、宝暦一四年(一七六四)重成の一五〇回忌にあたって、重成の首を落とした安藤長三郎の子孫で、彦根藩士安藤次輝が建てたもので、昭和一四年大阪府の史跡として指定されている。
八尾市教育委員会
P6161264 posted by (C)fronte360
お墓も見たので次に向かうこととします。
P6161267 posted by (C)fronte360
6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
第二寝屋川へと出て東に歩くと、八尾市幸公園に到着。 さっそく中に入りますと
P6161265 posted by (C)fronte360
ピンク色のお魚の滑り台・・・ じゃなくて、こんもりとした繁みに、
木村重成のお墓がありました。
P6161261 posted by (C)fronte360
ハイキングマップの説明文では以下のように書かれていました。
木村重成の墓(きむらしげなりのはか)
木村重成は、1615年(元和元年)大坂夏の陣 若江の戦いで討死した豊臣方の武将です。
以前は徳川方の武将山口重信の墓と向かい合っていましたが、昭和42年第二寝屋川の開削工事によって現在の場所に移されました。
P6161262 posted by (C)fronte360
P6161263 posted by (C)fronte360
石碑があり、以下のように書かれています。
大阪夏の陣で戦死した重成の墓は、もとはここから東五十メートルの地点にあったが、昭和四二年第二寝屋川の開削工事により、その川筋にあったのでここに移された。
この墓は、宝暦一四年(一七六四)重成の一五〇回忌にあたって、重成の首を落とした安藤長三郎の子孫で、彦根藩士安藤次輝が建てたもので、昭和一四年大阪府の史跡として指定されている。
八尾市教育委員会
P6161264 posted by (C)fronte360
お墓も見たので次に向かうこととします。
P6161267 posted by (C)fronte360
2018年06月26日
大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 第二寝屋川へ
近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。
6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
蓮城寺を出て、若江鏡神社前を通って南へと向かいます。
P6161251 posted by (C)fronte360
この道をまっすぐ南に歩くと近鉄八尾駅のアリオに行けるのですよね。
プリズムホールの演奏会のあと歩いてきたことがありますが、
今回は第二寝屋川まで歩くことになります。
P6161252 posted by (C)fronte360
途中で発見した石碑、「左 十三越道」「右 大阪道」
P6161253 posted by (C)fronte360
十三越とは、十三峠(じゅうさんとうげ)で奈良の平群に抜ける道ですね。
淀川の十三(じゅうそう)ではありません。
P6161254 posted by (C)fronte360
後ろには「すぐ八尾むら」って書いてあるようです。
その八尾村に向かって歩いて、第二寝屋川。
P6161255 posted by (C)fronte360
P6161256 posted by (C)fronte360
ここを渡って東へと進みます。
この辺りで大阪夏の陣、八尾・若江の戦いがあったのでしょうね。
P6161258 posted by (C)fronte360
次なるポイント、八尾市幸公園に到着。
P6161259 posted by (C)fronte360
ここにも木村重成の文字がありますね。
P6161260 posted by (C)fronte360
6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
蓮城寺を出て、若江鏡神社前を通って南へと向かいます。
P6161251 posted by (C)fronte360
この道をまっすぐ南に歩くと近鉄八尾駅のアリオに行けるのですよね。
プリズムホールの演奏会のあと歩いてきたことがありますが、
今回は第二寝屋川まで歩くことになります。
P6161252 posted by (C)fronte360
途中で発見した石碑、「左 十三越道」「右 大阪道」
P6161253 posted by (C)fronte360
十三越とは、十三峠(じゅうさんとうげ)で奈良の平群に抜ける道ですね。
淀川の十三(じゅうそう)ではありません。
P6161254 posted by (C)fronte360
後ろには「すぐ八尾むら」って書いてあるようです。
その八尾村に向かって歩いて、第二寝屋川。
P6161255 posted by (C)fronte360
P6161256 posted by (C)fronte360
ここを渡って東へと進みます。
この辺りで大阪夏の陣、八尾・若江の戦いがあったのでしょうね。
P6161258 posted by (C)fronte360
次なるポイント、八尾市幸公園に到着。
P6161259 posted by (C)fronte360
ここにも木村重成の文字がありますね。
P6161260 posted by (C)fronte360