2016年01月30日

高知散歩20160101_土佐神社境内

正月休みを高知で過ごすべく青春18きっぷにて12月29日夜高知に到着。
元日、この日は2013年1月2日以来、2度目の土佐神社に初詣に行きました。
その続き

拝殿前の右側には、ニ代藩主山内忠義公が慶安2年(1649年)に建立された鼓楼。
これも国の重要文化財ですね。

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P1012501 posted by (C)fronte360

上記の長宗我部元親公の看板や、境内一周を示す看板など
2013年のときもありました。

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P1012503 posted by (C)fronte360

龍馬伝ロケ地を示す札もまだ健在ですね。
先日 2013年の初詣の写真を見ましたが、ほとんど何も変わっていない様子。

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P1012504 posted by (C)fronte360

摂社、中央が西御前社、向かって右側が大国主神社、左側に事代主神社です。
この左側の事代主神社の脇より境内を一周します。

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P1012507 posted by (C)fronte360

社殿の裏、立派な木々が茂っております。

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本殿裏の大木には精霊が宿る、まさしくそんな感じ。

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本殿裏を抜け、「つぶて石」のところより登ったところには神明宮。

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「つぶて石」

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P1012515 posted by (C)fronte360

礫石(つぶていし)の謂れ

古伝に土佐大神の土佐に移り給し時、御船を先づ高岡郡浦の内に寄せ給ひ宮を建て加茂の大神として崇奉る。 或時神体顕はさせ給ひ、此処は神慮に叶はすとて石を取りて投げさせ給ひ此の石の落止る所に宮を建てよと有りしが十四里を距てたる此の地に落止れりと是即ちその石で所謂この社地を決定せしめた大切な石で古来之をつぶて石と称す。 浦の内と当神社との関係斯の如くで往時御神幸の行はれた所以である。 この地は蛇紋岩の地層なるにこのつぶて石は珪石で全然その性質を異にしており学界では此の石を転石と称し学問上特殊の資料とされている。
昭和四十九年八月 宮司


立て看板には以上のとおりです。
土左大神が鎮座地を定めるために投げた石ということですね。


posted by fronte360 at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 16-高知散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする