江ノ口川排水機場より江ノ口川より国分川にそって歩いて対岸に渡りました。
ここには、いつも見ている車両が置いてある所なのですが・・・

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この写真の左側は小山になっていて、いつか登ろうと思いつつ・・・
けっこうここまで歩いていると、正直疲れているので断念してましたが、
今回思い切って登ってみることにしました。

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「葛島山里山保全地区」の案内板がありますね。
それによると、この小山は「葛島山」。 以下のように書かれていました。

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昭和21年の南海大地震による津波で国分川の堤防が決壊した際、多くの方が葛島山に避難したそうです。
このことをきっかけに、それまでは地域外の方が所有していましたが、葛島地域の住民有志79名が、津波などの避難場所や飲料水確保のために共有として買収し、現在も地域住民の財産として大切にされています。

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標高約18メートル、頂上には神社がありました。 葛島大山祇神社。

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「葛島大山祇神社由緒」と記された案内板には以下のように書かれていました。
昭和21年12月21日、早朝に起きた南海大地震による津波は、国分川西側の堤防の決壊を生じた。住民多数は地震津波の不安から逸速くこの葛島山に避難し、多くの人が難を逃れた。又、地震によって地区内全域の地下水が塩水化し、飲料水となる真水は、やmの周辺三〜四ヵ所に出るのみとなった。
その頃、この山は地区外の人の所有であったので、葛島地区民が津波などの避難場所として又、飲料水確保の為に、住民有志79名が共有として買収した。
当時、山の頂上(現在地)には、樹高7〜8m位、目通り直径60cmの老杉が、象徴的に聳え建ち杉様、杉様と皆から慕われていた。それがいつの頃にか落雷によって、幹の先端から根元迄裂け目が入り、中は炭状となってしまった。しかし、強い生命力で、まさに御神木的風格であった。
その頃には、根元に粘土瓦製の小祠が祀られていた。
この山が、地域住民有志の共有となってからは、皆が協力して、現在の玉垣や鳥居も奉納された。
更に、木造りの祠を建立し、葛島大山祇神社として崇敬されている。
尚、元の老杉は、昭和62年10月の台風で倒壊し、現在の若木は、二代目である。

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社殿の脇に老杉と思しき木が横たわっていました。