2014年11月07日

石切散歩20141103_日下山

11月3日・文化の日、天気の良くなかった三連休も最終日、
ようやく晴れたものの何処に行く用事もないので、石切あたりを散歩しました。

孔舎衛坂駅から下って見つけた丹波神社のあと、しばし思案。
雨月物語などの作者・上田秋成隠棲の地があったはずと思いつつも・・・
気まぐれ散歩なので事前調査もしておらず、まだ下ってあとまた登るのは・・・
などと思って引き返すことにしました。

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PB038684 posted by (C)fronte360

その途中、「←日下山」の小さな標識を見つけたの行ってみることに。
アテのない適当な散歩ですから・・・と、ちょっと上ると、池がありました。
日下新池というのだそうです。

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池の周りも木が植えられて、向こう側が開けて広場になっているようです。
これは良い所を見つけました。

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広場のところまで行くと、説明板がありました。

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孔舎衙(くさか)健康道場と太宰治

 この地には大正3年(1914)大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道)開通後、日下遊園地が開業しました。 そこには飲食・遊戯施設があり、とくに納涼場として人気がありましたが、同15年(1926)にあやめ池遊園地(平成16年閉園)が開園すると徐々に衰退し、施設や建物は転売されるようになりました。 その後、風光明媚なこの地の建物は「孔舎衙健康道場」として手足の屈伸鍛錬と冷水摩擦の療法を行う施設となりました。 日日の施療を通じて入院患者と助手(現在の看護師にあたる)との交流がありました。
 京都府内に木村庄助という熱心な太宰治ファンが住んでいました。 彼は昭和16年(1941)8月から年末にかけて孔舎衙健康道場へ入院し、療養生活を克明に記した日誌を遺しました。 太宰治は木村から贈られたこの日誌を題材にして「パンドラの匣(はこ)」を書き、戦後の昭和20年10月から翌年1月にかけて「河北新報」(仙台市の日刊新聞)に発表しました。 「パンドラの匣」は結核の闘病生活を書簡形式で、助手との淡い慕情を織り交ぜながら、ほのぼのとしたタッチで描かれた小説です。
【参考文献】浅田高明「太宰治 探査と論証」平成3年、同「探求 太宰治」平成8年
                    平成26年3月 東大阪市


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ご近所の年輩の男性が2〜3人いらして思い思いに散歩を楽しんでました。
確かに風光明媚な所で、「日下山を市民の森にする会」というのがあり、
里山としての環境整備に努めておられるようです。

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猪が出没するので、山に入らないように・・・とか、
猟銃による狩猟を許可している旨のプレートもあったりしましたけど、
もとよりそんなに元気に生駒山を縦走する気力もありません。

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眼下にはまだ新しそうなのに、雑草に覆われた遊具・・・
ちょっと時間が止まっているような所ですが、気に入りました。

PB038703
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春には綺麗に桜など咲いているのではないかな・・・と想像します。
またやってきましょう。

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posted by fronte360 at 05:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 14-大阪散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする