2012年10月13日

若江岩田・猫橋地蔵

10月6日、猿棟を見てから河内街道を少し北に進んでから・・・
えいっこの辺りっと左折(適当です)、西に戻ってゆくと、ドンピシャ

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PA062004 posted by (C)fronte360

西光寺、ここが目的地ではありませんが、
石田神社の説明板に以下のように書かれていたお寺です。
神社の宮寺「善城寺」は石田神社の北側にあり、禅宗黄檗派で、江戸時代には村人の尊崇する寺であったが、明治初年の神仏分離の際廃絶した。寺に安置されていた不動明王像(室町時代作)と左右の制多迦 矜羯羅童子の二体も共に当地の西光寺に移され現存している。
西光寺の先、ここに目的地が見えてきました。
説明板もあります。

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猫橋地蔵
昔、石田神社の西側を南北に流れていた用水路に、一枚板の岩橋が架けられていましたが、形が猫に似ているところから猫橋と呼ばれていました。昭和のはじめ、道路と水路の改修のため、その橋を取り除くと下から数体の地蔵と五輪塔が出てきましたので、現在の場所に祀りました。この地蔵は、村人達が田畑の水辺の守り神として、また村を外部からの災害を防いで下さる村境の「賽の神」として、手厚く祀ったものと伝えられています。
この地蔵は、長年猫橋の下で、水に浸かっていたため摩滅が激しく、造られた年代は不明ですが、五輪塔に「大永七年丁亥十一月」と記されていることから、室町時代後期(1528)のものであると推定されています。
岩田町文化保存会
東大阪市


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お堂の扉が閉ざされていますが、鍵はかかっていないようだったので・・・
扉を開けてもよかったかもしれませんけど、格子戸より中を激写。
でもお堂にへばりついての撮影の方が怪しいかもね。

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お堂の中には・・・
角が取れてお顔の表情も分からなくなった石造が数体祀られていました。
六体の石仏がいらして、中央のが猫橋址地蔵だそうです(合掌)

お堂の脇にあった石塔、これが五輪塔のことでしょう。

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裏に回ってみると、大永七年と彫ってあるようにも思えました。
しかし他所の石造も見て回ってますけど、彫り物を解読するのが難しいなぁ。

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なお、堂の脇に立っているのは歌碑だそうです。

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右から「猫橋址」と書かれていて、達筆な字で歌が詠まれているのでしょうが、
こちらは学がないので何が詠まれているかサッパリです。

若江岩田駅の北側をちょっとぐるっと回った散歩でした。
(おしまい)

posted by fronte360 at 04:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 12-大阪散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする