気温が下がって夏の疲れか、自主休暇付き4連休明けをまだ引きずっているのか、
今週はお疲れモードがなんとなく抜けません。 週末に試験もあるからか・・・
とにかく、元気になるべく取り出したアルバムがこれ。
1982年10月27日発売。 中森明菜さんのセカンド・アルバム。
セカンド・シングル「少女A」が収録されています。
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「少女A」、17歳の明菜ちゃんの歌う歌詞に耳がいってしまいますけれども、
演奏者のクレジットはありませんが、演奏がとてもしっかりとしていて、
ベースラインが強調された演奏がなかなか迫力あります。
でも、一番好きなのは、弦楽四重奏をバックに歌う「咲きほこる花に……」
チェロが暖かな響きから始まります。
騒がしい季節と 静かな季節
めぐりめぐって今 あなた求めてる
あわてずに恋を 見つめ直しているわ
意地を張らないで 戻ってきてよ
歌詞、曲ももちろん素晴らしいのですが、シンプルな編曲がとても素敵。
大事に育てた花が
胸の中で咲きほこる
とてもあざやかだった あなたがよみがえる日
中森明菜さんの最初期の名作バラードとして忘れられない曲です。
ちょっと生き返りました。
side A
(イントロダクション)
作曲:若草恵、編曲:若草恵
キャンセル!
作詞:売野雅勇、作曲:伊豆一彦、編曲:萩田光雄
脆い午後
作詞:中里綴、作曲:三室のぼる、編曲:萩田光雄
哀愁魔術(マジック)
作詞:森雪之丞、作曲:小杉保夫、編曲:萩田光雄
咲きほこる花に……
作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵
ヨコハマA・KU・MA
作詞:中里綴、作曲:南佳孝、編曲:萩田光雄
side B
メルヘン・ロケーション
作詞:中里綴、作曲:三室のぼる、編曲:萩田光雄
少女A
作詞:売野雅勇、作曲:芹澤廣明、編曲:萩田光雄
第七感(セッティエーム・サンス)
作詞:篠塚満由美、作曲:南佳孝、編曲:萩田光雄
X3(バイバイ)ララバイ
作詞:森雪之丞、作曲:小杉保夫、編曲:萩田光雄
カタストロフィの雨傘
作詞:篠塚満由美、作曲:和泉常寛、編曲:若草恵
(エンディング)
作曲:若草恵、編曲:若草恵
2012年10月11日
若江岩田・猿棟(さるむね)
10月6日、石田神社(いわたじんじゃ)を出て、東側の鳥居をくぐって東進、
石田神社の参道であったようで、駅前再開発ビルの手前に石灯籠がありました。
さて、右折すれば駅に戻りますが、左折・北に向いて歩きます。
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ちょっと歩くと藁ぶき屋根の旧家があり、何やら説明板が掲げられています。
PA062003 posted by (C)fronte360
猿棟(さるむね)
石田家住宅は、江戸時代中期の享保元年(1716年)に建築され、享保13年のサル年に瓦製のサル二匹を大屋根にすえつけ現在に至るといわれています。 当時、岩田村と御厨村が井路川の排水のことで争った時、庄屋だった新兵衛は、争いの解決と岩田村の繁栄を願い、村人とともに住吉大社に祈願しました。
争いは有利に終わり、この喜びを永く伝えるため、紀州(和歌山県)の瓦屋に注文して作らせたものだと伝えられています。
このサルは、かやぶき屋根の棟に載った高さ約30センチメートルのもので、東側のサルは玉を持ち、西側のサルは右手に御幣、左手に扇を持っています。これは悪魔が「去る」という意味でおかれたもので、サルは住吉大社の方向に向けられています。
昭和の中頃まで、三郷(岩田、西岩田、瓜生堂)の農民は、田植えが終われば住吉大社へのお礼参りをつづけていました。
岩田町文化保存会
東大阪市
PA061994 posted by (C)fronte360
確かにお猿さんが載っているようで、近づいて望遠の威力発揮
PA062000 posted by (C)fronte360
西側のお猿さんは、右手に御幣、左手に扇を持っており
PA062001 posted by (C)fronte360
東側のお猿さんは両手で玉を持っています。
PA062002 posted by (C)fronte360
後で調べると、この道は「河内街道」と言う八尾から枚方に続く街道とのこと。
道理でこのような旧家も残っているのですね。
石田神社の参道であったようで、駅前再開発ビルの手前に石灯籠がありました。
さて、右折すれば駅に戻りますが、左折・北に向いて歩きます。
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ちょっと歩くと藁ぶき屋根の旧家があり、何やら説明板が掲げられています。
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猿棟(さるむね)
石田家住宅は、江戸時代中期の享保元年(1716年)に建築され、享保13年のサル年に瓦製のサル二匹を大屋根にすえつけ現在に至るといわれています。 当時、岩田村と御厨村が井路川の排水のことで争った時、庄屋だった新兵衛は、争いの解決と岩田村の繁栄を願い、村人とともに住吉大社に祈願しました。
争いは有利に終わり、この喜びを永く伝えるため、紀州(和歌山県)の瓦屋に注文して作らせたものだと伝えられています。
このサルは、かやぶき屋根の棟に載った高さ約30センチメートルのもので、東側のサルは玉を持ち、西側のサルは右手に御幣、左手に扇を持っています。これは悪魔が「去る」という意味でおかれたもので、サルは住吉大社の方向に向けられています。
昭和の中頃まで、三郷(岩田、西岩田、瓜生堂)の農民は、田植えが終われば住吉大社へのお礼参りをつづけていました。
岩田町文化保存会
東大阪市
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確かにお猿さんが載っているようで、近づいて望遠の威力発揮
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西側のお猿さんは、右手に御幣、左手に扇を持っており
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東側のお猿さんは両手で玉を持っています。
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後で調べると、この道は「河内街道」と言う八尾から枚方に続く街道とのこと。
道理でこのような旧家も残っているのですね。