2012年10月09日

南沙織 / Hello! Cynthia

自主休暇付き、4連休明けの勤務は倦怠感満載でしたけれど
小トラブル頻発(空調がアラーム出した、電話器が壊れた、退職者の連絡先は)
そんな午前中をなんとか乗り切り、いつもどおりの定時退社で戻ってきました。

このところ朝夕めっきりと涼しいよりも寒く、秋らしくなってきました。
こんな秋の夜長、お気に入りアルバムを聴いて過ごします。
南沙織さまです。

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1977年8月21日発売。 通算17枚目のオリジナルアルバム。
帯広での学生時代、すでに南沙織さまは引退・結婚されていましたけれど、
帯広の中古レコード屋で捕獲したうちの1枚です。

23枚目のシングル「街角のラブソング」を収録していますけれど、
いわゆるアイドルから脱皮、自分の身の丈に合った心の機微を歌います。

デビュー当時のストレートでぶつけるような歌い方ではなく、
フレーズの最後を柔らかく、ふわっと力を抜く、そんな歌唱が心に沁みます。
当時、田山雅充さんの指摘によって鼻濁音を意識して歌っておられたそうです。

20才を過ぎたウェットな女性の魅力を醸し出すB面、楽曲ともども素晴らしい。

side A
 黄昏ドライブイン
     作詞・作曲: つのだひろ 、編曲: 萩田光雄
 バースデイ・トゥデイ
     作詞・作曲:つのだひろ 、編曲: 萩田光雄
 第三者
     作詞: 中里綴 、作曲: 梅垣達志 、編曲: 萩田光雄
 船乗りジミー
     作詞・作曲: つのだひろ 、編曲: 萩田光雄
 街角のラブソング
     作詞・作曲: つのだひろ 、編曲: 萩田光雄
 ピ・リ・オ・ド
     作詞: 中里綴 、作曲: 梅垣達志 、編曲: 萩田光雄

side B
 シングル・ルーム
     作詞: 岡田冨美子 、作曲: 梅垣達志 、編曲: 萩田光雄
 青春の電車
     作詞・作曲: つのだひろ 、編曲: 萩田光雄
 はじめまして
     作詞・作曲: つのだひろ 、編曲: 萩田光雄
 秋がくるから淋しいのです
     作詞: 岡田冨美子 、作曲: 梅垣達志 、編曲: 萩田光雄
 プロフィール
     作詞: 中里綴 、作曲: 梅垣達志 、編曲: 萩田光雄
 愛ほのぼの
     作詞: 岡田冨美子 、作曲: 梅垣達志 、編曲: 萩田光雄

posted by fronte360 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 11〜12-JPOP音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

石田神社(いわたじんじゃ)

10月6日、若江岩田駅に降りて南側の線路沿いに八重ノ里方面に歩くと、
駐車場の向こうに見えてきました。
石田神社と書いて「いわたじんじゃ」と呼ぶそうです。

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通勤時の帰り、高架の上から眺めていると、外環状道路を過ぎたあと、
こんもりと茂った樹木に囲まれて落着いた神社、この神社が見えてきますので、
一度行ってみようと思ったわけです。 道路から入るとまず北向きの鳥居。

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これを回り込むようにして東側の鳥居へと周り込みます。
この神社も創始は古く、式内社で、欽明天皇の時代の創始とあります。
正面鳥居の脇には、岩船伝説にまつわる興味深い説明板が掲げられていました。

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石田神社と宮寺「善城寺」
平安時代の初め延長5年(927)に完成した「延喜式」の神名帳にのせられている古い神社で、帯仲彦尊(仲哀天皇)、息長足姫尊(神功皇后)、誉田別尊(応神天皇)の三座をまつり、後に天照大神、天児屋根命を合祀した。
欽明天皇の時代(500年代)にこのあたりの水田に岩船があって、三神がその上にあらわれそこで神社を築いておまつりをしたと伝えられる。
属に八幡宮と呼ばれ明治5年に村社と定められた。
また神社の宮寺「善城寺」は石田神社の北側にあり、禅宗黄檗派で、江戸時代には村人の尊崇する寺であったが、明治初年の神仏分離の際廃絶した。寺に安置されていた不動明王像(室町時代作)と左右の制多迦 矜羯羅童子の二体も共に当地の西光寺に移され現存している。
岩田町文化財保存会
協力 東大阪市教育委員会


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岩船の伝説・幸神塚と無名塚
現在は住宅地になっているが、石田神社の北側に昭和38年頃まで直径2mたらずの円錐形の二つの小塚が水田の中にあった。
東の塚を「幸神塚」といい、西の塚は「無名の塚」とよばれていた。
伝説によると「幸神塚」は「賽の神」(村への疫病などの侵入を防いだり道行く人を災難から守る神)をまつった旧地だといわれている。
またここを開拓したとき、船によく似た大きな岩石があり、その長さは東塚より西塚に達し全長50m近くもあった。これは古代大きな石の船がここで難破したもので二つの塚はその前後のものといわれている。石田神社の社伝によると欽明天皇(500年代)の御代の岩船に祭神が降りてきたと伝えられる。
岩田町文化財保存会
協力 東大阪市教育委員会


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狛犬さんも威厳を持っておられます。

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台座を調べてみると江戸時代のもののようです。

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首が無く肩からすっと腕が出ているようなフォルムが愛嬌あって印象的。

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なお境内社として、合祀殿が一棟建っていて、
ここの狛犬さんも同じフォルムなので、同時代ものでしょうか。

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天照大神、天児屋根命(アメノコヤネ命)、倉稲魂命(ウカノミタマ命)
を祀る合祀殿だそうですが、
明治期に天照大神、天児屋根命は本殿に合祀されたそうです。

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境内をうろうろしていると、七五三参りでしょうね、
ご家族連れが来られましたので、この神社を後にすることにしました。

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なお、八幡宮と書かれた石灯籠、
江戸時代には岩田八幡宮と呼ばれていたそうです。
posted by fronte360 at 05:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 12-大阪散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする