ネタ切れとなったので、7月15日に東大阪・中小阪界隈を散歩したことなど。
15日、中小阪北向延命地蔵尊を出て、少し歩くと小さな祠を発見、
これが先の案内板に書かれていた、愛宕社、ですね。
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ここにも詳しい説明板があり、とても参考になります。
この辺りは「環濠集落」(社会科で習いましたね)だったそうです。
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中小阪村の地形は、東西に長く、西は長瀬川(大和川本流)が流れ、彌栄神社のすぐ西に支流(大雨時に川になり、いつも水が流れている川でない)が流れていました。
東は府道八尾枚方線です。彌栄神社から西の村内は、川の土砂の堆積作用で土地が高く綿畑になっている所が多かったようですが、東(居村部)は、土地が低かったので、東、北、南に堀をつくり、土堤で囲み、またその内容に神社から少し東まで、二重の堀をつくり、洪水を防ぐ村づくりをしていました。
このような村を環濠集落といいます。
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愛宕社は、村の東入口に位置し、他所からの火災及び盗難など、村への災害を防ぐ神としてまつられています。
江戸時代には、各地で火の神として愛宕社はまつられていますが、ここでは、農耕守護神として、また地蔵信仰と結びついた形でまつられています。
愛宕社には、東大阪市の文化財指定を受けている中小阪地蔵堂の「斗帳」(地蔵の前に懸けるたれぬの)と同じ布地で作られた「うちしき」(神具・供物の敷物)が保存されています。
これらは、伝承によると、中小阪の森田氏の千太郎が、京都の織屋へ養子に行き、文久2年(1862)皇女和宮が、徳川14代将軍家茂に降嫁の際に織り納めた端布で作って、故郷の中小阪の地蔵堂や愛宕社へ寄進したものだといわれています。
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なるほど・・・と、
格子戸に近づいてみると、防犯カメラ、アクリル板でガードされてますが、
カメラを当てて中を覗いて見てみましたら、石造が3体安置されてました。
でも、この石造にかけられた布は「うちしき」ではないようですね。
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ここの香炉は六角形、三つ巴の紋が入ってますね。
愛宕社はカミサマですが、お香を焚く・・・石像、ホトケサマ・・・??
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よく分からなくなってきましたが、神仏習合、何でもええですやん。
助けてくれり、護ってくれるんなら。。。そんな感じでしょうか。
ということで、ここから足を八戸ノ里へと進め、小阪界隈を後にしました。
(おしまい)
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