三菱の楚を築いた岩崎彌太郎
明治3年、長崎から大坂藩邸の責任者となり、
藩の政務のほか蔵屋敷や開成館大阪出張所の活動を取り仕切っていました。
しかし土佐藩大坂藩邸は鴻池など豪商の抵当に入っていたようですね。
明治政府によって藩による商売が出来なくなるのを見越して九十九商会を発足、
これが藩の借金を肩代わりして返済したことで、藩邸の大半が払い下げられ、
これが三菱の源流となります。 三菱の創業は明治3年です。
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岩崎彌太郎始め岩崎家もこの土佐稲荷への信仰篤く、社殿の造替を行い、
弟の岩崎彌之助が明治26年に寄進した青銅の狛犬もありますね。
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この台座には、正四位岩崎彌之助謹識と書かれた銘文が刻まれてますよ。
明治6年三菱商会と改称、翌年本店を東京の日本橋の南茅場町に移します。
大半の地所・建物を大阪府に譲渡しますが、土佐稲荷だけは手放さず、
岩崎家が所有し続けたそうです。
三菱グループのサイトが詳しいです → - 岩崎彌太郎物語 - 藩邸と土佐稲荷
これらのとおり三菱と非常に縁の深い神社ですので、
神紋にはスリーダイヤが入っているのですね。
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境内にいくつかある末社のなかの石宮社、
なんでも海上安全の守護神だそうですが、ここの銅灯篭にもスリーダイヤ
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なかなかに興味深い神社でした。
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ちなみに6月30日に訪れたので、茅の輪が飾られてました。
「夏越の祓」ですね。
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