ゴールデン・ウィークと言えど、カレンダー通りで、しかも・・・
4月度決算対応で、5/2も 5/6も残業予定なので、帰省できませんな、
でも、混みあう新幹線に乗らなくて済むと思うと…、ものは考えようです。
お昼前、田端銀座の魚屋さんで鯵を一尾仕入れました、130円で太ってます。
IMGP4404 posted by (C)fronte360
これは・・・と、鯵さんを部屋の冷蔵庫に置き、御徒町の吉池へ向かいました。
気楽な単身赴任、独身生活ですね・・・
で、そこで見つけたのが、菊正宗の「日本がんばろう」
菊正宗酒造、
阪神淡路大震災で被災しながらも復興できたのは皆さまのおかげであると、
清酒「日本がんばろう」を販売、1本につき 200円が義援金となるそうです。
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さっそく16時頃より、一献・二献・三献・・・と、進んでます。
でも、さすが菊正宗、糖類添加なしで14.5度のしっかりとした辛口です。
安酒にありがちな、変な酸味もありませんよ。 これはお買い得かも!!
義援金は、日本赤十字社を通じて寄付されるとパッケージに書いてます。
飲む口実ができた、と言われては不本意かもしれませんけれど・・・
これ、いけますわ。
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2011年04月29日
諏訪台・養福寺
諏訪台通りをちょっと進むと、八重桜が見えます。 ここが養福寺。
元和6年(1620年)、法印乗蓮によって開かれ、木食義高上人により中興開山。
初めは、田端の東覚寺(赤紙仁王が立つお寺)の末寺だったようですが、
明治43年に、田端の与楽寺(賊除地蔵があるお寺)に加わっているそうです。
IMGP4353 posted by (C)fronte360
江戸時代の養福寺、本堂の他に仁王門、鐘楼堂、観音堂、地蔵堂などがあり、
中でも観音堂の100体の観音像は、坂東33ヶ所、西国33ヶ所、秩父34ヶ所
これらの観音霊場の写しを祀ったもので「養福寺の100観音」として
多くの参請者が訪れたそうです。
しかしながら、第2次世界大戦により、仁王門のみを残してそのすべて焼失。
IMGP4357 posted by (C)fronte360
諏訪台通りから、境内にその仁王門が見えます。
仁王像は、胎内の奉納銘札で宝永5年(1701年)の造立と確認されていて、
この仁王門も、宝永年間の建立によるものだそうです。
仁王さんもさることながら、門の裏側にも2体の立像が収められています。
宝塔を持たれているので、多聞天。 毘沙門天と呼ばれるのが一般的かな。
IMGP4370 posted by (C)fronte360
そしてこちらは、刀を持っているので、持国天。
IMGP4369 posted by (C)fronte360
いずれも仏教を護る神さま、四天王のうちのお二方ですね。
四天王像って中学生の頃、東大寺戒壇院で見て以来、興味あります。
ネットで見た情報では持国天じゃなく広目天となってましたが、
広目天は筆を持っているのだな。 違いますね。
さて、仁王門の前を左に折れて進むと本堂です。
山門、仁王門、本堂と直線に並ぶと思うのですけれど、中心線からずれてます。
ちょっと面白い配置ではないかな。
IMGP4367 posted by (C)fronte360
本堂、鐘楼などは再建されて、四季折々の季節の花々や緑に彩られています。
散った桜の花びらがじゅうたんのようで、これもまた綺麗ですね。
IMGP4375 posted by (C)fronte360
そして、ここにも庚申塔が集められているのですね。
IMGP4360 posted by (C)fronte360
小さな方、欠けてはいますが、これもなかなかに良い風情が感じられます。
IMGP4362 posted by (C)fronte360
江戸時代、多くの文人たちが訪れ、その足跡も残しているそうですが、
ここも出て、さらに南下しましょう。
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元和6年(1620年)、法印乗蓮によって開かれ、木食義高上人により中興開山。
初めは、田端の東覚寺(赤紙仁王が立つお寺)の末寺だったようですが、
明治43年に、田端の与楽寺(賊除地蔵があるお寺)に加わっているそうです。
IMGP4353 posted by (C)fronte360
江戸時代の養福寺、本堂の他に仁王門、鐘楼堂、観音堂、地蔵堂などがあり、
中でも観音堂の100体の観音像は、坂東33ヶ所、西国33ヶ所、秩父34ヶ所
これらの観音霊場の写しを祀ったもので「養福寺の100観音」として
多くの参請者が訪れたそうです。
しかしながら、第2次世界大戦により、仁王門のみを残してそのすべて焼失。
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諏訪台通りから、境内にその仁王門が見えます。
仁王像は、胎内の奉納銘札で宝永5年(1701年)の造立と確認されていて、
この仁王門も、宝永年間の建立によるものだそうです。
仁王さんもさることながら、門の裏側にも2体の立像が収められています。
宝塔を持たれているので、多聞天。 毘沙門天と呼ばれるのが一般的かな。
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そしてこちらは、刀を持っているので、持国天。
IMGP4369 posted by (C)fronte360
いずれも仏教を護る神さま、四天王のうちのお二方ですね。
四天王像って中学生の頃、東大寺戒壇院で見て以来、興味あります。
ネットで見た情報では持国天じゃなく広目天となってましたが、
広目天は筆を持っているのだな。 違いますね。
さて、仁王門の前を左に折れて進むと本堂です。
山門、仁王門、本堂と直線に並ぶと思うのですけれど、中心線からずれてます。
ちょっと面白い配置ではないかな。
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本堂、鐘楼などは再建されて、四季折々の季節の花々や緑に彩られています。
散った桜の花びらがじゅうたんのようで、これもまた綺麗ですね。
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そして、ここにも庚申塔が集められているのですね。
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小さな方、欠けてはいますが、これもなかなかに良い風情が感じられます。
IMGP4362 posted by (C)fronte360
江戸時代、多くの文人たちが訪れ、その足跡も残しているそうですが、
ここも出て、さらに南下しましょう。
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諏訪台・浄光寺
諏方神社の鳥居を出るとすぐ左にあるのが、浄光寺。
諏方神社の別当寺であったそうです。
別当寺とは、神仏習合だった頃、神社とセットになっていたお寺ですね。
説明のプレートに江戸六地蔵と書かれていますけれど、
巣鴨にあった江戸六地蔵とは違い、江戸東都六地蔵の三番目だそうです。
門を入って左、お地蔵さまがありました。
IMGP4352 posted by (C)fronte360
調べてみると、東都歳時記には「銅仏立像壱丈」とあるそうで、
壱丈=約3メートルなので、これは再建されたものみたいですね。
でも、なかなかに良いお顔をしていらっしゃると思いませんか。
IMGP4343 posted by (C)fronte360
しかし、個人的には隅に置かれている庚申塔、これに目が行きます。
IMGP4344 posted by (C)fronte360
この精巧な彫りは、なかなか良いですね。
IMGP4345 posted by (C)fronte360
そしてこちらは、ちょっと草臥れた感じで哀愁が漂ってませんか…
IMGP4346 posted by (C)fronte360
ところで、総鎮守の別当寺なので格式も高かったのでしょうね、
八代将軍徳川吉宗が鷹狩の時、御善所としても利用されたお寺とのこと。
どこにあったかは分かりませんでしたが、将軍腰かけの石もあるそうです。
そして眺望が良い諏訪台にあり、特に雪景色が素晴らしかったそうで、
「雪見寺」とも呼ばれたのだと説明のプレートには書かれてありました。
よし、ここを出てさらに南下しましょう。
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諏方神社の別当寺であったそうです。
別当寺とは、神仏習合だった頃、神社とセットになっていたお寺ですね。
説明のプレートに江戸六地蔵と書かれていますけれど、
巣鴨にあった江戸六地蔵とは違い、江戸東都六地蔵の三番目だそうです。
門を入って左、お地蔵さまがありました。
IMGP4352 posted by (C)fronte360
調べてみると、東都歳時記には「銅仏立像壱丈」とあるそうで、
壱丈=約3メートルなので、これは再建されたものみたいですね。
でも、なかなかに良いお顔をしていらっしゃると思いませんか。
IMGP4343 posted by (C)fronte360
しかし、個人的には隅に置かれている庚申塔、これに目が行きます。
IMGP4344 posted by (C)fronte360
この精巧な彫りは、なかなか良いですね。
IMGP4345 posted by (C)fronte360
そしてこちらは、ちょっと草臥れた感じで哀愁が漂ってませんか…
IMGP4346 posted by (C)fronte360
ところで、総鎮守の別当寺なので格式も高かったのでしょうね、
八代将軍徳川吉宗が鷹狩の時、御善所としても利用されたお寺とのこと。
どこにあったかは分かりませんでしたが、将軍腰かけの石もあるそうです。
そして眺望が良い諏訪台にあり、特に雪景色が素晴らしかったそうで、
「雪見寺」とも呼ばれたのだと説明のプレートには書かれてありました。
よし、ここを出てさらに南下しましょう。
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