根津神社の中を散策すると、色々なものがあります。
まずは、これ、六代将軍・徳川家宣の胞衣塚(えなづか)
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家宣が生まれたときの胎盤などを埋めて大石を置いてあります。
もとここは甲府中納言徳川綱重の山手屋敷で、家宣が生まれた所、
のちに家宣がここに根津神社(権現)を移し、現在のようになっています。
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本殿脇にある銅の灯篭、上野の東照宮や両大師にあるものと同じ形ですが、
徳川の家紋である三葉葵ではなく、卍マークがあしらわれています。
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足元の獅子など、同じ形ですけどね。
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なお、胴の部分には寛永七年(1630年)の銘が入ってました。
庚申塔と、向こうにあるのは、塞(さい)の大神の碑、道祖神です。
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いずれも道路拡張などで根津神社に運び込まれたものです、
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六基ある庚申塔のうち、一番古いのは寛永九年(1632年)のもので、
文京区で一番古く、都内に現存するものでも古い部類に入るものだそうです。
庚申信仰、中国の道教から発生したもので、60日毎に訪れる庚申の夜は、
人が眠ると身体のなかの三戸(さんし)の虫が身体の中より抜け出て天に昇り、
天帝に罪を告げて命を縮めるように説きます。
庚申の夜は、当番になった家で般若心教を寝ずに唱えたり、歓談して過ごし、
三戸の虫が天帝に告げにいかないようにするのです。
これを三年18回続け、満願なったときに塔を建てることが多かったようですね。
東京に来てからですね、あちこちに残る庚申塔を見て回るようになりましたが、
なかなかに興味深いものです。
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