司牡丹を捕獲したので、冷蔵庫に保管していた土佐鶴も出してきました。
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巣鴨のマーケットに行ったら、鰹のタタキが安く出ていたので
薬味をたっぷりとかけて、ポン酢と塩タタキの二通りで楽しみました。
お塩は、モンゴルの岩塩と、昨年高知で買ってきた柚子塩ですね。
もちろん、写真にはありませんが、司牡丹と土佐鶴の二通りも楽しみました。
日本酒は文化です(意味不明)。
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2011年01月15日
ランパル、モーツァルト/フルート四重奏曲
朝からはっきりしない曇り空、寒いのでグズグズしていましたが、
11時、重い腰を上げて歩いて上野公園まで行き、14時前に戻ってきました。
昼食後、散歩用に作ったポットの紅茶(ウィスキー入り)の残りを飲みながら
モーツァルトのフルート四重奏曲を楽しんでいます。
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1982年8月に発売されたソニーのベスト・クラシックス100の1枚。
1969年12月22,23日録音ですから、何度目かの再発売盤ですね。
帯広の学生時代、大学生協で25%offのセールが年に1・2度あったかしら、
その時に捕獲したもので、それ以来の愛聴盤でもあります。
煌びやかなギャラント風の闊達なランパルのフルートに、
スターン、シュナイダー、ローズのトリオ演奏、息の合ったセッション風で、
腕利きの人たちが集まって、肩の力を抜いて自分たちの演奏を楽しんでいる、
そのように感じる演奏です。
今では、煌びやかなランパルのフルートよりも渋い響きのニコレが好みですが
この曲に関しては、この演奏に完全に刷り込まれてしまったようです。
とにかく明日は早朝より出勤せねばなりません。
ややこしいことは忘れ、午後の紅茶を頂きながら音楽に身を委るのに
もってこいのモーツァルトの音楽、そして演奏です。
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11時、重い腰を上げて歩いて上野公園まで行き、14時前に戻ってきました。
昼食後、散歩用に作ったポットの紅茶(ウィスキー入り)の残りを飲みながら
モーツァルトのフルート四重奏曲を楽しんでいます。
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1982年8月に発売されたソニーのベスト・クラシックス100の1枚。
1969年12月22,23日録音ですから、何度目かの再発売盤ですね。
帯広の学生時代、大学生協で25%offのセールが年に1・2度あったかしら、
その時に捕獲したもので、それ以来の愛聴盤でもあります。
煌びやかなギャラント風の闊達なランパルのフルートに、
スターン、シュナイダー、ローズのトリオ演奏、息の合ったセッション風で、
腕利きの人たちが集まって、肩の力を抜いて自分たちの演奏を楽しんでいる、
そのように感じる演奏です。
今では、煌びやかなランパルのフルートよりも渋い響きのニコレが好みですが
この曲に関しては、この演奏に完全に刷り込まれてしまったようです。
とにかく明日は早朝より出勤せねばなりません。
ややこしいことは忘れ、午後の紅茶を頂きながら音楽に身を委るのに
もってこいのモーツァルトの音楽、そして演奏です。
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早朝散歩・簸川神社(ひかわじんじゃ)
白山神社を後に、小石川植物園の塀にそって網干坂を下りましたが、
ふっと思い立って、簸川神社(ひかわじんじゃ)にも立ち寄りました。
IMGP3383 posted by (C)fronte360
ひかわじんじゃ、と読むと、氷川神社が有名ですが、ここもその系列で、
もとは氷川と書いていたそうですが、大正年間、学者の研究成果をもとに
「簸川」が適号とのことで、改めたそうです。
なおこの神社も、小石川植物園の御殿坂付近の古墳の上にあったそうですが、
館林候綱吉の屋敷を造営するため、承応元年(1652)に原町に移ったあと、
さらに元禄12年(1699)、景勝の地を選んでこの地に移ってきたとのこと。
IMGP3384 posted by (C)fronte360
この神社の創建もまた古く、第五代孝昭天皇御宇三年(473年)創建との事ですが
先の大戦で焼けてしまったので、近代的な社殿になってます。
この日は、境内にクレーン車が入って工事をしていたこともあって落ち着かず、
そそくさと境内を後にして護国寺へと向かいました。
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ふっと思い立って、簸川神社(ひかわじんじゃ)にも立ち寄りました。
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ひかわじんじゃ、と読むと、氷川神社が有名ですが、ここもその系列で、
もとは氷川と書いていたそうですが、大正年間、学者の研究成果をもとに
「簸川」が適号とのことで、改めたそうです。
なおこの神社も、小石川植物園の御殿坂付近の古墳の上にあったそうですが、
館林候綱吉の屋敷を造営するため、承応元年(1652)に原町に移ったあと、
さらに元禄12年(1699)、景勝の地を選んでこの地に移ってきたとのこと。
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この神社の創建もまた古く、第五代孝昭天皇御宇三年(473年)創建との事ですが
先の大戦で焼けてしまったので、近代的な社殿になってます。
この日は、境内にクレーン車が入って工事をしていたこともあって落ち着かず、
そそくさと境内を後にして護国寺へと向かいました。
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