胸突坂の下は神田川、この川にそって歩くことにします。
川沿いの道は気持ち良いですね、歩いている方も多く江戸川公園に入ります。
神田川に大洗堰をもうけて上水道として利用したのが神田上水
ここは上水跡を利用したのが江戸川公園とのこと。
行き交う人もまた緑を楽しんでいるようで、良い所でした。
江戸川公園を出て小日向の久世山に登る鷺坂
久世山に住んでいた堀口大学や佐藤春夫が万葉集の古歌より名付けた坂で
ここを上るのは2回目かな。
適当に小日向の街中を歩いてゆくと切支丹坂
向こうに地下鉄丸の内線の車庫が見えますので、ここをくぐると・・・
今度は上り坂、登ってみると庚申坂。
坂下、地下鉄の車庫のトンネルあたりに庚申塔があったそうですね。
なお切支丹坂の上には切支丹の牢屋敷があったからだです。
このあとはいつものお馴染みの小石川図書館からの帰り道
吹上坂を下り、御殿坂を上り、蓮華寺坂を下って白山下
薬師坂を登って白山上、駒本小学校から田端に向って動坂を下ってゴール。
3時間弱、文京区の坂道を堪能しました。 疲れた・・・
.
2010年05月16日
目白台あたり、富士見坂、胸突坂、永青文庫、芭蕉庵
鬼子母神を出て、目白通りを歩いて南下してゆき不忍通りとの分岐点
ふっと右を見ると急な下り坂、向こうに西新宿超高層ビルが見えていました。
調べてみると、緑に包まれた日本家屋の左側は日無坂、右側は富士見坂
ここから富士山が望めたのもうなずけるほど急峻な坂道で、
目白台、その名のとおり高台なんですね。 良い眺めでした。
目白通りに戻り、講談社野間記念館の手前を右に折れて歩くと永青文庫
熊本の細川公のコレクションを集めたところです。
そのまま進んで、ここも急峻な胸突坂を下りて、見上げたところ。
降りた右側に水神社、左側に関口芭蕉庵。 水神社に庚申塔を発見。
これは風情のある庚申塔ですね。
神社の境内より、かつて松尾芭蕉が住んでいたという関口芭蕉庵
無料公開されてますが、まだ8時すぎなので入ることはできませんでした。
また今度訪れるときの楽しみにしましょう。
.
ふっと右を見ると急な下り坂、向こうに西新宿超高層ビルが見えていました。
調べてみると、緑に包まれた日本家屋の左側は日無坂、右側は富士見坂
ここから富士山が望めたのもうなずけるほど急峻な坂道で、
目白台、その名のとおり高台なんですね。 良い眺めでした。
目白通りに戻り、講談社野間記念館の手前を右に折れて歩くと永青文庫
熊本の細川公のコレクションを集めたところです。
そのまま進んで、ここも急峻な胸突坂を下りて、見上げたところ。
降りた右側に水神社、左側に関口芭蕉庵。 水神社に庚申塔を発見。
これは風情のある庚申塔ですね。
神社の境内より、かつて松尾芭蕉が住んでいたという関口芭蕉庵
無料公開されてますが、まだ8時すぎなので入ることはできませんでした。
また今度訪れるときの楽しみにしましょう。
.
大塚天祖神社、子育て狛犬
今朝も天気が良いので、JR大塚駅まで電車で移動してから早朝散歩に出発。
まずは、前回見損ねた「子育て狛犬」に会いに大塚の天祖神社へ。
鳥居の脇にいらしたのですね。
親獅子の下で、おっぱいを夢中で飲む子供の獅子。
ということは対になっている反対側の獅子は父親獅子なのでしょうか。
嘉永5年(1852)9月吉日 石工梅五郎 の作
.
まずは、前回見損ねた「子育て狛犬」に会いに大塚の天祖神社へ。
鳥居の脇にいらしたのですね。
親獅子の下で、おっぱいを夢中で飲む子供の獅子。
ということは対になっている反対側の獅子は父親獅子なのでしょうか。
嘉永5年(1852)9月吉日 石工梅五郎 の作
.
スイス高級腕時計「RADO」の日時計
昨日、真砂中央図書館からの帰り、湯島天神の境内で日時計を発見しました。
ふぅ〜んと何気なく見たらると、スイス高級腕時計「RADO」の文字が・・・
脇の説明板を読むと、御大典のときに奉納された日時計があったそうですが、
戦後の混乱期に放置されたままになっていたのをラドー総代理店酒田貿易により
水平式日時計として復元されたものだとか。
補正用の表も刻印されて、さすがRADOの名に負けない立派なものでした。
なお、この日時計を支える支柱は、鍛冶橋の欄干だそうです。
調べてみると、八重洲にあった橋のようですね。
.
ふぅ〜んと何気なく見たらると、スイス高級腕時計「RADO」の文字が・・・
脇の説明板を読むと、御大典のときに奉納された日時計があったそうですが、
戦後の混乱期に放置されたままになっていたのをラドー総代理店酒田貿易により
水平式日時計として復元されたものだとか。
補正用の表も刻印されて、さすがRADOの名に負けない立派なものでした。
なお、この日時計を支える支柱は、鍛冶橋の欄干だそうです。
調べてみると、八重洲にあった橋のようですね。
.