2010年05月16日

神田川、江戸川公園、鷺坂、切支丹坂、庚申坂

胸突坂の下は神田川、この川にそって歩くことにします。

100516_11.jpg

川沿いの道は気持ち良いですね、歩いている方も多く江戸川公園に入ります。

100516_12.jpg

神田川に大洗堰をもうけて上水道として利用したのが神田上水
ここは上水跡を利用したのが江戸川公園とのこと。
行き交う人もまた緑を楽しんでいるようで、良い所でした。

100516_13.jpg

江戸川公園を出て小日向の久世山に登る鷺坂
久世山に住んでいた堀口大学や佐藤春夫が万葉集の古歌より名付けた坂で
ここを上るのは2回目かな。

100516_14.jpg

適当に小日向の街中を歩いてゆくと切支丹坂
向こうに地下鉄丸の内線の車庫が見えますので、ここをくぐると・・・

100516_15.jpg

今度は上り坂、登ってみると庚申坂。
坂下、地下鉄の車庫のトンネルあたりに庚申塔があったそうですね。
なお切支丹坂の上には切支丹の牢屋敷があったからだです。

このあとはいつものお馴染みの小石川図書館からの帰り道
吹上坂を下り、御殿坂を上り、蓮華寺坂を下って白山下
薬師坂を登って白山上、駒本小学校から田端に向って動坂を下ってゴール。

3時間弱、文京区の坂道を堪能しました。 疲れた・・・

.


posted by fronte360 at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 08〜12-東京散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

目白台あたり、富士見坂、胸突坂、永青文庫、芭蕉庵

鬼子母神を出て、目白通りを歩いて南下してゆき不忍通りとの分岐点
ふっと右を見ると急な下り坂、向こうに西新宿超高層ビルが見えていました。

100516_06.jpg

調べてみると、緑に包まれた日本家屋の左側は日無坂、右側は富士見坂
ここから富士山が望めたのもうなずけるほど急峻な坂道で、
目白台、その名のとおり高台なんですね。 良い眺めでした。

100516_07.jpg

目白通りに戻り、講談社野間記念館の手前を右に折れて歩くと永青文庫
熊本の細川公のコレクションを集めたところです。

100516_08.jpg

そのまま進んで、ここも急峻な胸突坂を下りて、見上げたところ。

100516_09.jpg

降りた右側に水神社、左側に関口芭蕉庵。 水神社に庚申塔を発見。
これは風情のある庚申塔ですね。

100516_10.jpg

神社の境内より、かつて松尾芭蕉が住んでいたという関口芭蕉庵
無料公開されてますが、まだ8時すぎなので入ることはできませんでした。
また今度訪れるときの楽しみにしましょう。

.

posted by fronte360 at 15:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 08〜12-東京散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雑司が谷、鬼子母神

都電荒川線の線路つたいに歩いて雑司が谷、鬼子母神

100516_03.jpg

入谷の鬼子母神は昨年伺いましたが、雑司が谷の鬼子母神堂は大きいですね。

100516_04.jpg

鬼子母神像も堂々としてますが、境内は「手づくり市」ですか
フリーマーケットみたいなので占領されていて、その準備で落着きません。

100516_05.jpg

今度ゆっくりと訪れることとしましょう。
なお、鬼子母神については → ココ を参照してください。

.

posted by fronte360 at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 08〜12-東京散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大塚天祖神社、子育て狛犬

今朝も天気が良いので、JR大塚駅まで電車で移動してから早朝散歩に出発。
まずは、前回見損ねた「子育て狛犬」に会いに大塚の天祖神社へ。

100516_01.jpg

鳥居の脇にいらしたのですね。
親獅子の下で、おっぱいを夢中で飲む子供の獅子。

100516_02.jpg

ということは対になっている反対側の獅子は父親獅子なのでしょうか。
嘉永5年(1852)9月吉日 石工梅五郎 の作

.

posted by fronte360 at 11:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 08〜12-東京散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スイス高級腕時計「RADO」の日時計

昨日、真砂中央図書館からの帰り、湯島天神の境内で日時計を発見しました。
ふぅ〜んと何気なく見たらると、スイス高級腕時計「RADO」の文字が・・・

100515_03.jpg

脇の説明板を読むと、御大典のときに奉納された日時計があったそうですが、
戦後の混乱期に放置されたままになっていたのをラドー総代理店酒田貿易により
水平式日時計として復元されたものだとか。
補正用の表も刻印されて、さすがRADOの名に負けない立派なものでした。

なお、この日時計を支える支柱は、鍛冶橋の欄干だそうです。
調べてみると、八重洲にあった橋のようですね。

.

posted by fronte360 at 06:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 08〜12-東京散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする