昨夕のお客さまとのミーティングもなんとかご理解いただけたかしら、
ちょっとした開放感より昨晩は少々深酒しちゃいました。
飲みながらうたた寝をし、自宅からの電話で叩き起こされたものの、
電話のあともコタツに潜り込んで朝5時まで爆睡してましたね。
昨日の天気予報では雨だと思っていたのですが、
今朝の予報では曇のち晴れで、雨が振ってないじゃないですか。
6時半を回ったので、いつもどおりゴミ出しついでの散歩に出ました。
まずは動坂ですが、こんな幟が下がっているんですね。

一富士・二鷹・三なすび 発祥の地 動坂
動坂というよりも駒込と言ったほうがいいのかもしれませんけどね。
これをたどるべく坂を登って右折して駒込天祖神社の裏門
ここの都立駒込病院の境目にこんな石碑があります。

御鷹組中、何を表したものかは知りませんが
このあたりに、徳川幕府の鷹匠屋敷があったんですね。
「ぶんきょうの史跡めぐり」によると、以下のような記載があります。
八代将軍吉宗が鷹狩を復活し、鷹匠屋敷が現在の駒込病院の敷地におかれた。 吉祥寺裏には犬小屋、第九中学校辺りは鷹の訓練場、鷹の飼育場が勤労福祉会館近辺にあった。
お参りをし、鳥居を出て振り返ってみた駒込天祖神社の写真は以下です。

さてこの道を真っ直ぐに行くと本郷通り
徳川将軍が日光に行くときに通った道なので、将軍の御成道
この道に出る一つ手前を右折すると、駒込富士神社

富士山を模して、社殿に登る参道脇には富士山の溶岩も置かれています。
梅の花でしょうね、綺麗に咲いていました。
これで一富士・二鷹ですが、なんで三番目にナスビなのかというと・・・

この写真ではよく分かりませんが、以下のように書かれています。
幕府がおかれた事で、江戸の人口は急増しました。主食のお米は全国から取り寄せましたが、一番困ったのは新鮮な野菜の不足で、江戸城内でも野菜を栽培していた記録があります。多くの大名たちは国元から百姓を呼び寄せ、下屋敷などで野菜を作らせました。
このようにして、江戸近郊の農村では換金作物として、ナスやダイコン、ゴボウなどの野菜栽培が盛んになり、当富士神社周辺でも、各種の野菜栽培が生産されるなど、大消費地江戸の供給基地として発達しました。
とくに、ナスは優れたものが出来たことから「駒込ナス」として江戸庶民に好まれ、徳川幕府が発行した「新編武蔵風土記稿」(1828年)にも記されています。農家はナス苗や種子の生産にも力を入れるようになり。タネ屋に卸していました。 現巣鴨駅の北西にある旧中山道にはタネ屋が集まり、さながらタネ屋街道の趣をなし、駒込、滝野川など周辺の農家が優良品種の採種に大きく貢献していました。
ということで、発祥の地巡りを終えました。
ここからは将軍御成道を北上してJR駒込駅の手前、
六義園の北東角のところから脇道に入ると、染井橋
サクラの品種であるソメイヨシノの発祥の地ですね。
その染井橋を渡ってからJRの線路にそって西に進んで巣鴨へ。
線路沿いに並ぶ大木はサクラでしょうか。 春は綺麗でしょうね。
巣鴨ではいつもの24時間マーケットで食料品を買い込み、
帰りはJRの乗って戻ってきましたが、いつもの散歩コースでした。