月曜、火曜日と役員に付き合って飲み歩いてありました。
歩く、という感じじゃないですが、とにかく呑んでの遅い帰宅となってます。
体重はウナギ上り(偽装ウナギならいいのですが・・)
血圧も高値安定、といった感じですかね。
まだリミットには余裕はありますけども・・
さてこの前の土曜日に図書館で借りてきた
Beck Bogerd & Appice Live をこのところ愛聴してます。
いわば青春の曲といやつですね。
1973年5月18,19日
大阪厚生年金会館でのライブ盤
ギター好き、文京区に住むきっかけも作ってくれた友人が
高校生時代に教えてくれたものです。
彼は実際にこのコンサートに行ったので
実際のコンサート・プログラムにそった曲順で
カセットテープを作ってくれました。
それはよく聴いていてまだ自宅にあるはずですが、
後年この2枚組みLPも中古で捕獲しています。
そして土曜日、図書館でこのCDが出ていることに驚きました。
コレ、日本限定盤なのですよね。
分厚いジェフ・ベックのギター
派手でオカズの多いカーマイン・アピスのドラムス
唸るようなティム・ボガートのベース・ギター
とにかく巧い!!
トリオ構成での素晴らしいロックが展開されてます。
気分が若返ります(気分だけね)
2008年07月09日
2008年07月06日
日暮里・歴史と文化の散歩道
昨日は暑かったので、初めてクーラーを入れました。
案の定、特有のイヤナ臭いで閉口しましたけどね、
そんなこと言ってられません。 これから活躍してもらわないと・・
夜になったのでクーラーを止め、
冷えたビール、ウィスキーのロック、そして冷えた日本酒を飲んだところで
またもや意識不明に陥ってしまいましたよ。
奥さんからの携帯電話のベルで起きたものの、またもや昏睡状態になって
夜中の1時半頃にようやく歯磨きをして床につきましたが・・・
なかなか眠れず(そりゃそうでしょう)でもなんとか頑張って眠って
朝6時に起床ですね。
今朝はバリバリの早朝高血圧で、下の血圧が100を超えましたね。
30分ほどたって再度測っても99、97ですから、こんなもんでしょう・・・
牛乳もなくなったし(毎日1リットルは飲んでる感じですねぇ)
7時になったので、買い物ついでの散歩に出ることにしました。
まずは田端駅の南口へと進路を定め、与楽寺坂を上ります。
このあたりに芥川龍之介の住んでいたようですが、
いまだその場所が分かってませんが、それはまた別の機会に探すとします。
田端駅南口に下る階段、これを不動坂と呼ぶのだそうです。
もともと田端不動尊のお不動さんはこの地にあり、不動の滝もあったとか・・
それを記す標柱が電信柱の陰になっているのが寂しいですね。
今日はここから日暮里を目指します。
緑の多い閑静な道路、左手に線路・新幹線を見ながら歩いてゆくと
すぐに西日暮里の駅が見えてきました。
京浜東北線の最新鋭E233系電車が止まっていたのでパチリ
この電車、中央線で使われていますが、山手線にはまだ入ってないですね。
駅前の道路を横切り、また線路伝いに坂を上ると公園があります。
西日暮里公園、うっそうと茂った樹木に覆われていて
道灌山の風情が残るところだと紹介されています。
「道灌山」「道灌山虫聴き」「道灌舟繋松」などの説明板もありました。
眺望の良い台地の端で、江戸時代には庶民の行楽地だったようで、
虫の鳴き声を鑑賞するための名所でもあり、この崖より土器(かわらけ)投げも
されていたようです。
さて、ここから日暮里を目指して歩き始めますと
右手にショウウィンドウに小さなトルソが置いてある建物が・・・
最初画廊かなと思っていたら、「太平洋美術会」と書かれた説明板。
明治22年、小山正太郎、浅井忠等によって創立された「明治美術会」が
明治35年に「太平洋画会」と改称されたのがここの前身で、
官立に対抗した在野の立場から、坂本繁二郎、中村彝、高村智恵子などを輩出とありました。 現存する日本で最古の美術団体であるとのこと。
なるほどね。
さての向かい側に鳥居があって、諏方神社だそうです。
「訪」ではなく「方」の字を使った諏方神社。
社務所の方でしょうね、拝殿を拭き掃除をされていたので参拝は遠慮して
境内をうろうろして写真など撮っていましたが、
境内で3人、年配の方が太極拳をされてましたけれど、
ちょっと不審そうに見られてしまいました・・・
なおここから西日暮里駅が見下ろせて
東北本線の線路も見えるのですが、いきなり見慣れない電車が・・・
写真はうまく写りませんでしたが、後で調べたら485系「華」でした。
関西では見ることのできないJR東日本の車両、ビックリします。
さてここを出て日暮里をまた目指しますと、左手に坂道、
富士見坂、その名のとおり富士山が見える坂。
現在でも富士山を望むことができる坂だそうですね。
今日は曇っていてダメですが、寒い冬の朝とかだといいのかな〜
しばらく歩くと養福寺、奥に仁王門が見えます。
中に入ってみましたが、仁王門の向こうは庭になっていて、
門の手前を左に折れたところに建物があって、ちょっと面白い配置です。
あと石造りの灯篭がデフォルメされた感じで面白いのが多いのが印象的。
談林派歴代の句碑など俳人・文人が訪れたお寺でもあるようです。
さてこれを抜ける手前に「諏訪台り」の看板も出てきました。
とにかくここを抜けて右折すると「谷中ぎんざ」
まだ8時前なんで、人影もまばら・・・黒猫が横切ってゆきました。
(写真の左側のポールの間の黒いのが猫ちゃんですね)
谷中ぎんざを抜けたとき、根津神社にも行こうかな・・と思案しましたが
当初目的のとおり谷中よみせ通り商店街を抜けて帰ることにします。
途中、不忍通りに出ると坂下平和地蔵尊がありました。
昭和20年3月4日の空襲で赤ちゃんを含む犠牲になられた方々を悼み
二度と戦争を起さなむことを誓って建立されたとのことでした。
黙祷・・・
さて現実生活にもどって、本来の目的の朝食の食材購入ですね。
牛乳、キウイ、めかぶ、面倒なのでインスタントの味噌汁も購入。
めかぶ+納豆、お味噌汁のご飯のあと、ヨーグルト+キウイのデザート、
いい感じでしょう。
でもやはり味噌汁は自分で作ったほうが良かったですね。
ちょっとマンネリ気味ですけれど・・・
これで約1時間ちょっとかな。 距離はないけどウロウロしましたしね。
今日もまた昼から図書館に行きましょう。
あと扇風機も買いたいな、図書館のあと歩いて巣鴨まで行ってみるかな〜
案の定、特有のイヤナ臭いで閉口しましたけどね、
そんなこと言ってられません。 これから活躍してもらわないと・・
夜になったのでクーラーを止め、
冷えたビール、ウィスキーのロック、そして冷えた日本酒を飲んだところで
またもや意識不明に陥ってしまいましたよ。
奥さんからの携帯電話のベルで起きたものの、またもや昏睡状態になって
夜中の1時半頃にようやく歯磨きをして床につきましたが・・・
なかなか眠れず(そりゃそうでしょう)でもなんとか頑張って眠って
朝6時に起床ですね。
今朝はバリバリの早朝高血圧で、下の血圧が100を超えましたね。
30分ほどたって再度測っても99、97ですから、こんなもんでしょう・・・
牛乳もなくなったし(毎日1リットルは飲んでる感じですねぇ)
7時になったので、買い物ついでの散歩に出ることにしました。
まずは田端駅の南口へと進路を定め、与楽寺坂を上ります。
このあたりに芥川龍之介の住んでいたようですが、
いまだその場所が分かってませんが、それはまた別の機会に探すとします。
田端駅南口に下る階段、これを不動坂と呼ぶのだそうです。
もともと田端不動尊のお不動さんはこの地にあり、不動の滝もあったとか・・
それを記す標柱が電信柱の陰になっているのが寂しいですね。
今日はここから日暮里を目指します。
緑の多い閑静な道路、左手に線路・新幹線を見ながら歩いてゆくと
すぐに西日暮里の駅が見えてきました。
京浜東北線の最新鋭E233系電車が止まっていたのでパチリ
この電車、中央線で使われていますが、山手線にはまだ入ってないですね。
駅前の道路を横切り、また線路伝いに坂を上ると公園があります。
西日暮里公園、うっそうと茂った樹木に覆われていて
道灌山の風情が残るところだと紹介されています。
「道灌山」「道灌山虫聴き」「道灌舟繋松」などの説明板もありました。
眺望の良い台地の端で、江戸時代には庶民の行楽地だったようで、
虫の鳴き声を鑑賞するための名所でもあり、この崖より土器(かわらけ)投げも
されていたようです。
さて、ここから日暮里を目指して歩き始めますと
右手にショウウィンドウに小さなトルソが置いてある建物が・・・
最初画廊かなと思っていたら、「太平洋美術会」と書かれた説明板。
明治22年、小山正太郎、浅井忠等によって創立された「明治美術会」が
明治35年に「太平洋画会」と改称されたのがここの前身で、
官立に対抗した在野の立場から、坂本繁二郎、中村彝、高村智恵子などを輩出とありました。 現存する日本で最古の美術団体であるとのこと。
なるほどね。
さての向かい側に鳥居があって、諏方神社だそうです。
「訪」ではなく「方」の字を使った諏方神社。
社務所の方でしょうね、拝殿を拭き掃除をされていたので参拝は遠慮して
境内をうろうろして写真など撮っていましたが、
境内で3人、年配の方が太極拳をされてましたけれど、
ちょっと不審そうに見られてしまいました・・・
なおここから西日暮里駅が見下ろせて
東北本線の線路も見えるのですが、いきなり見慣れない電車が・・・
写真はうまく写りませんでしたが、後で調べたら485系「華」でした。
関西では見ることのできないJR東日本の車両、ビックリします。
さてここを出て日暮里をまた目指しますと、左手に坂道、
富士見坂、その名のとおり富士山が見える坂。
現在でも富士山を望むことができる坂だそうですね。
今日は曇っていてダメですが、寒い冬の朝とかだといいのかな〜
しばらく歩くと養福寺、奥に仁王門が見えます。
中に入ってみましたが、仁王門の向こうは庭になっていて、
門の手前を左に折れたところに建物があって、ちょっと面白い配置です。
あと石造りの灯篭がデフォルメされた感じで面白いのが多いのが印象的。
談林派歴代の句碑など俳人・文人が訪れたお寺でもあるようです。
さてこれを抜ける手前に「諏訪台り」の看板も出てきました。
とにかくここを抜けて右折すると「谷中ぎんざ」
まだ8時前なんで、人影もまばら・・・黒猫が横切ってゆきました。
(写真の左側のポールの間の黒いのが猫ちゃんですね)
谷中ぎんざを抜けたとき、根津神社にも行こうかな・・と思案しましたが
当初目的のとおり谷中よみせ通り商店街を抜けて帰ることにします。
途中、不忍通りに出ると坂下平和地蔵尊がありました。
昭和20年3月4日の空襲で赤ちゃんを含む犠牲になられた方々を悼み
二度と戦争を起さなむことを誓って建立されたとのことでした。
黙祷・・・
さて現実生活にもどって、本来の目的の朝食の食材購入ですね。
牛乳、キウイ、めかぶ、面倒なのでインスタントの味噌汁も購入。
めかぶ+納豆、お味噌汁のご飯のあと、ヨーグルト+キウイのデザート、
いい感じでしょう。
でもやはり味噌汁は自分で作ったほうが良かったですね。
ちょっとマンネリ気味ですけれど・・・
これで約1時間ちょっとかな。 距離はないけどウロウロしましたしね。
今日もまた昼から図書館に行きましょう。
あと扇風機も買いたいな、図書館のあと歩いて巣鴨まで行ってみるかな〜
2008年07月05日
白山〜小石川植物園散歩
このところ不覚にも転寝が続いていて
昨夜は久しぶりに残業して、帰宅したら22時前
1週間の仕事&飲み会疲れもたまっていたのでしょうね、
1週遅れ?の探偵ナイトスクープの途中から意識不明に陥ってしまい
気づいたら5時でしたよ。
布団敷いても眠れるわけなく、しばし寝そべって6時過ぎに起床。
喉が渇くので、昨夜買った1リットルの牛乳をガブガブと半分ほど飲み、
土曜日恒例のゴミ出しついでの散歩へと出発しました。
いつもどおり動坂を上って本郷通りへ
いつもは左折するのですが、これを渡ったところに
駒込土物店(つちものだな)跡というのが天栄寺の脇にありました。
なんでも神田・千住とともに江戸三大市場の跡だそうで
江戸幕府御用市場だったようですね。
この脇にある商店が並ぶ小さな道を抜けると白山
懐かしいなぁ・・
かつて友人が住んでいた向丘2丁目に行くのによく利用した白山ですよ。
白山上にあるコープのマーケットも友人と利用しましたね。
白山通りに出て、白山下交差点より左手を見たら
後楽園遊園地のジェットコースターが遠くに見えました。
なるほどね、こんど東京ドームに行く機会があれば歩いて帰りましょう。
白山通りも横切って直進、緩い坂を登りますと・・・
左手に東洋大学計算力学研究センター
御殿坂を挟んで右手に小石川植物園がやっと見えてきました。
小石川植物園というのに住所は白山3丁目なんですね
ここから御殿坂を下ります。
坂下の銘板には、
徳川綱吉が将軍になる前の御殿があったのでこの坂を御殿坂と呼び
綱吉が将軍になってから、その御殿が幕府の薬園なったのだとか。
勉強になりますね。
植物園は10時からでしょうか、まだ開門していません。
なんたってまだ8時ですものね・・・
植物園の塀にそって一周することにします。
途中で「御殿町尋常小学校跡」という銘板を見つけました。
いまでは小石川消防署になっているようです。
火の見櫓というのも懐かしい感じですよね。
半周すると、東大総合研究博物館小石川分館というのがありました。
ここは入館無料みたいですが、10時からなので締まってます。
「驚異の部屋」展という知的好奇心を刺激するような展示があるので
今度また来てみようと思います。
さてここから網干坂を上ることになりますが、
脇に「簸川神社」というのがありました。
難しい漢字ですねぇ・・・
何と読むのか分かりませんでしたが、とりあえずお参りはしておきました。
網干坂、ここにも銘板があり、かつて坂下の谷は入江で舟の出入があり
漁師がいて網を干したことに由来するようです。
さて坂を登りきって右折、民家そして塀にそって歩き
東洋大学計算力学研究センターが見えてきました。 一周完了!
2Km弱ってところでしょうか。
坂があるせいかな、ジョギングしていたのは2名ほどだったかな・・・
確かに走るにはちょっと不向きかもしれません。
ここまでで部屋から約1時間が経過し、少々疲れてきました。
もと来た道を引き返しますが、そのまま帰るのは面白くないので
白山上から向丘2丁目に抜けて団子坂を目指します。
以前「水族館劇場」と書かれた幟とテントで怪しかった光源寺、
写真の中央奥に金色に見えるのが駒込大観音かしらね。
少々疲れていたので、道路を渡ることもせずに先に進みます。
団子坂、下りきると不忍通りで交通量が多いので途中で左折
本郷図書館もまだ9時前なので空いてませんねぇ。
この道を動坂上の手前で右折、不忍通りの肉のハナマサでお買い物。
1リットルの牛乳を半分ほど飲んでしまったので
こんどは1リットルの飲むヨーグルトを買って帰り、朝食としました。
夜も朝も液体燃料で動いているみたいですね〜
7時半出発の9時帰着、1時間半、朝食前のいい運動になりました。
昨夜は久しぶりに残業して、帰宅したら22時前
1週間の仕事&飲み会疲れもたまっていたのでしょうね、
1週遅れ?の探偵ナイトスクープの途中から意識不明に陥ってしまい
気づいたら5時でしたよ。
布団敷いても眠れるわけなく、しばし寝そべって6時過ぎに起床。
喉が渇くので、昨夜買った1リットルの牛乳をガブガブと半分ほど飲み、
土曜日恒例のゴミ出しついでの散歩へと出発しました。
いつもどおり動坂を上って本郷通りへ
いつもは左折するのですが、これを渡ったところに
駒込土物店(つちものだな)跡というのが天栄寺の脇にありました。
なんでも神田・千住とともに江戸三大市場の跡だそうで
江戸幕府御用市場だったようですね。
この脇にある商店が並ぶ小さな道を抜けると白山
懐かしいなぁ・・
かつて友人が住んでいた向丘2丁目に行くのによく利用した白山ですよ。
白山上にあるコープのマーケットも友人と利用しましたね。
白山通りに出て、白山下交差点より左手を見たら
後楽園遊園地のジェットコースターが遠くに見えました。
なるほどね、こんど東京ドームに行く機会があれば歩いて帰りましょう。
白山通りも横切って直進、緩い坂を登りますと・・・
左手に東洋大学計算力学研究センター
御殿坂を挟んで右手に小石川植物園がやっと見えてきました。
小石川植物園というのに住所は白山3丁目なんですね
ここから御殿坂を下ります。
坂下の銘板には、
徳川綱吉が将軍になる前の御殿があったのでこの坂を御殿坂と呼び
綱吉が将軍になってから、その御殿が幕府の薬園なったのだとか。
勉強になりますね。
植物園は10時からでしょうか、まだ開門していません。
なんたってまだ8時ですものね・・・
植物園の塀にそって一周することにします。
途中で「御殿町尋常小学校跡」という銘板を見つけました。
いまでは小石川消防署になっているようです。
火の見櫓というのも懐かしい感じですよね。
半周すると、東大総合研究博物館小石川分館というのがありました。
ここは入館無料みたいですが、10時からなので締まってます。
「驚異の部屋」展という知的好奇心を刺激するような展示があるので
今度また来てみようと思います。
さてここから網干坂を上ることになりますが、
脇に「簸川神社」というのがありました。
難しい漢字ですねぇ・・・
何と読むのか分かりませんでしたが、とりあえずお参りはしておきました。
網干坂、ここにも銘板があり、かつて坂下の谷は入江で舟の出入があり
漁師がいて網を干したことに由来するようです。
さて坂を登りきって右折、民家そして塀にそって歩き
東洋大学計算力学研究センターが見えてきました。 一周完了!
2Km弱ってところでしょうか。
坂があるせいかな、ジョギングしていたのは2名ほどだったかな・・・
確かに走るにはちょっと不向きかもしれません。
ここまでで部屋から約1時間が経過し、少々疲れてきました。
もと来た道を引き返しますが、そのまま帰るのは面白くないので
白山上から向丘2丁目に抜けて団子坂を目指します。
以前「水族館劇場」と書かれた幟とテントで怪しかった光源寺、
写真の中央奥に金色に見えるのが駒込大観音かしらね。
少々疲れていたので、道路を渡ることもせずに先に進みます。
団子坂、下りきると不忍通りで交通量が多いので途中で左折
本郷図書館もまだ9時前なので空いてませんねぇ。
この道を動坂上の手前で右折、不忍通りの肉のハナマサでお買い物。
1リットルの牛乳を半分ほど飲んでしまったので
こんどは1リットルの飲むヨーグルトを買って帰り、朝食としました。
夜も朝も液体燃料で動いているみたいですね〜
7時半出発の9時帰着、1時間半、朝食前のいい運動になりました。
2008年07月04日
西川口まで
昨夜は横浜のキリンビール園にあるスプリングバレーというレストランで、
ビールの季節を謳歌するように、しこたまビールを頂きました。
5種類のビールを飲み干し、ああ、おいしかったぁ。
で、このビール園
薩摩藩士がイギリス人を殺傷した生麦事件のあった京急生麦駅が最寄駅。
帰りは懐かしい京急の1ドア電車で京急鶴見、
ここから京浜東北線に乗換えて、余裕で座って田端まで一直線なのですが・・・
勢い余って西川口まで行ってしまいましたよ。
新橋あたりまで記憶があったのですけどねぇ・・・
寝ないように、寝ても気付くようにと、尾崎亜美を聴いていたはずなんですが・・・
西川口で気付いたら松任谷由実の『ALARM à la mode』(アラーム・ア・ラ・モード)になってました。
このアルバムもいい曲が多いですよね・・・
たっぷり聴きながら戻ってきたら、12時前でした。
それでも、今朝もちゃんと5時前には起床。
早朝覚醒なだけなんですけどね。
さて今朝は雨、でも今日は9時半に九段下まで行けば良いので
9時前にここを出れば間に合います。
都内に住むと出張時にとても便利でいいですわ。
さて、のんびりと出勤準備します。
ビールの季節を謳歌するように、しこたまビールを頂きました。
5種類のビールを飲み干し、ああ、おいしかったぁ。
で、このビール園
薩摩藩士がイギリス人を殺傷した生麦事件のあった京急生麦駅が最寄駅。
帰りは懐かしい京急の1ドア電車で京急鶴見、
ここから京浜東北線に乗換えて、余裕で座って田端まで一直線なのですが・・・
勢い余って西川口まで行ってしまいましたよ。
新橋あたりまで記憶があったのですけどねぇ・・・
寝ないように、寝ても気付くようにと、尾崎亜美を聴いていたはずなんですが・・・
西川口で気付いたら松任谷由実の『ALARM à la mode』(アラーム・ア・ラ・モード)になってました。
このアルバムもいい曲が多いですよね・・・
たっぷり聴きながら戻ってきたら、12時前でした。
それでも、今朝もちゃんと5時前には起床。
早朝覚醒なだけなんですけどね。
さて今朝は雨、でも今日は9時半に九段下まで行けば良いので
9時前にここを出れば間に合います。
都内に住むと出張時にとても便利でいいですわ。
さて、のんびりと出勤準備します。