月曜日、会社に到着したら携帯電話に奥さんからの不在着信有り
どうせ長男の机の上に忘れたメモリプレーヤの事だと思って電話したら
実家より祖母が亡くなったとの連絡があったのだと。
102歳、ここ3年近く入院していたのだけれども
いざ訃報にあうと、頭が真っ白になった。
実母が亡くなった母親は取り急ぎ新幹線で出発したとのこと、
父親も昼に親戚の自動車に乗って移動するのだとか・・
なにせその時点では委細不明、仕事が忙しいだろうから、
弔電を打っておいて、来なくても良い、とはいうけれども
そうはいかない。
小児喘息、アレルギー疾患でクスリも使えない虚弱体質であった自分は、
母の実家である広島県世羅郡の祖父母のところに預けられ
転地療養をさせてもらったからこそ、今の自分があると思っている。
小学校入学前など1ヶ月ほども預けられ、
シャツには母の苗字と自分の名前が書かれてあったほどだ。
小学生時代の夏冬の休みは長期間お世話になったし、
病がおさまった中学、高校、大学時代になっても休みには訪れたもので
何としても最後のお別れを言いたい。
仕事は4Q発注を頂くための金額調整などややこしい面もあるが
残ったメンバーに託し、昼からの顧客訪問を終えると自宅に戻った。
その時点では、通夜は当夜、告別式は翌朝11時というのが判明し、
当初は新幹線とバスでの移動を考えたが、
弟と連絡が取れ、弟の自動車に便乗させてもらうことにした。
昨日は始発電車で待ち合わせ場所の新大阪駅へ移動
ここで合流して約3時間後、式の開始45分前になんとか間にあった。
しかしこの式の最中にも金額調整のヘルプを頼む着信
上司からは別件の稟議の内容についての確認メールも来たが、
申し訳ないが、いずれも自分で判断して欲しい旨をメールで返信・・・
なんでこんなときまで仕事せにゃならんのだ。
火葬場から実家の脇に建てた新しい祖母の家に戻り
初七日の法要も終えて最後のお別れを言うことが出来たが
これでもうここにも来ることは無くなるのかと思うととても淋しい。
久しぶりに集まった親戚ともまたいつ会えるだろうか・・・
この祖母がいたからこそ集まる機会があり
これだけ大勢が集まれたのもこれが最後かもしれない。
102歳の大往生、湿っぽくはならなかったけれど
なんとなく喪失感がひしひしと沸いてくるような感じである。
今朝7時、近所にある
今高野山(いまこうやさん)に一人参詣、
ここも子供の頃に何度も来た懐かしい場所であり
中高校生時代だったかな、まだ入学前の従兄弟とも来て遊んだことも
思い出されたが、その従兄弟もすでに30歳を超えている。
驚くほど時の流れは早い、
だがここの佇まいは昔と変わらず時間が止まっているようでもあった。
何かあればまたここに来て、時を忘れたいものである。