2018年06月22日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 若江鏡神社

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
若江城跡を見て、寄り道で美女堂氏遺愛碑も見たので、次のポイントへ。

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若江鏡神社の境内へと進みます。
この境内を抜けた隣がポイントなんですが(この神社は経路扱いですが)
ここも由緒正しい古社、ここも何度か来ていますがここから入るの初めてです。

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創建年代は不詳ながら延喜式内の古社、
斉衡元年(854年)に記された書物に『河内之国大雷火明之神従五位下』とあり、
少なくとも1200年近くこの地に鎮座されているようです。

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神社及び数多くの宝物は、大阪夏の陣の兵火で焼失したとのことですが、
石灯籠など見て回ると、江戸時代のものが多数残っていることより、
以降もまた地元の崇敬を集めていたものと考えられます。

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社殿左にある末社・天照皇大神社、ここの狛犬さんがいいんですねぇ。

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左の狛犬さんには角が生えてるんですよね。 しかし、いい顔してるな。

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なおこの神社には「雷の手形石」というものがあるそうです。
その昔、雷が誤ってご神前に落ちてしまったそうです。
神の前に落ちるとは何事か、と怒りにふれ、雷は天に返してもらえなくなり、
そこで今後、決してこの村には落ちない、という約束をして、
その印として手形を残したのが「雷の手形石」だそうです。
(元の大阪日日新聞の記事は消えてました)

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さあて次なる目的地へと進みましょう。

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2018年06月21日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 若江城跡・美女堂氏遺愛碑

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
楠根川ぞいを歩いて北上、府道21号大阪東大阪線に出て東へ進みます。

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歩道の脇に最初のポイント、若江城跡の碑。 何度か来たことありますね。
ハイキングマップに書かれた説明文は以下のとおりです。

若江城跡(わかえじょうあと)
若江城は南北朝時代に河内に進出、河内国守護職となった畠山氏により築城されました。 15世紀の中ごろ畠山氏の家督をめぐる争いは戦国時代の口火となりました。 1573年(天正元年)天下統一をめざす織田信長は足利氏最後の将軍義昭を追って若江城を攻めています。

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実際には道路を隔てた北側にある公民館分館付近が中央部だったようですね。
本丸などの主要部は東西が約130m、南北が約150mの20,000uほど・・・
とwikiには書いてあります。 ここからハイキングマップを離れて寄り道です。

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押しポタンの横断歩道を渡って北側の歩道に行きます。
左側のプレートが「若江城跡」
クリックすると大きな画面で確認することができます。

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若江城は、南北朝時代の争乱期(十四世紀末)に、幕府の命令により河内国内の武士の統率と取り締まりのため、河内国守護に任じられた畠山基国が、北朝方の拠点として築いた城郭と考えられ、永徳二年(1382)から天正元年(1573)までの約二世紀間、河内国守護の政庁の役割を果たしてました。
畠山氏は、満家・持国に継がれ、このあと政長と義就に義兄弟の家督争いは、有名な応仁の乱へと発展し、やがて支配は細川氏から三好氏へ移り、永禄十一年(1568)には畿内を平定した織田信長が三好義継を若江城主に、畠山高政を高屋城主としました。
城は石山本願寺攻撃の拠点として使われましたが、和議が成立し、城の役割を終えて廃城となり、歴史から姿を消すことになりました。
若江城の跡は、昭和47年以来の発掘調査で、次第に明らかになってきており、若江公民館分館を中心として、周辺から二重の堀や土塁・各種建物・溝・井戸などの跡や、瓦類・土器類・武器類など、多数の城跡の存在を裏付ける資料が出土しています。
(平成8年1月 東大阪市)

そして右側の石碑とプレートが「美女堂氏遺愛碑(びんどうしいあいひ)」

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こちらもクリックすると大きな画面で確認することができます。

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この碑は、平成4年4月に、東大阪市若江北町の杉山一彦邸内あったものを、同氏の申し出によって、この地に移されたものです。
碑の高さは105cm、幅65cm、厚さ31cmで、用材は和泉砂岩です。文面を見ると、天保二年(1831)4月に美女堂勝喜氏が、掛川の十東遠氏に文を作らせ、美女堂氏の系譜と懐古の情を禁じ得ず、建立したことが分かります。
碑の表面の文章を要約すると、若江北町には古くから美女堂氏という旧家が四戸あり、この頃(天保二年)には、既に二戸は転居し、吉左衛門の一家ののみが栄えていました。これに対し、勝喜の家の跡には老松だけが茂るだけで、懐古の情が湧き、この碑を建てた、と記されています。
大正時代に出版された「中河内郡誌」によると、摂津源氏として活躍した源満仲が、四男美女丸のために、若江北町にある美女山薬師寺(巨摩堂ともいう)を建立し、子孫は美女堂と名乗った、と記されています。また、子孫は改姓して藤原氏となって、大阪に移住したとも書かれています。
このように美女堂氏の由来が書かれた名族由来の顕彰碑は、貴重な資料であり、若江に関する資料として大切にしたいものです。
(平成5年12月 東大阪市)

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さて、横断歩道を戻ってハイキングのコースに戻ります。
軽自動車が入ってゆく脇道を今度は南へと進みます。


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2018年06月20日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 楠根川ぞいを歩く歩く

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
穴太神社への寄り道のあと、府道21号八尾枚方線に戻って北上

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P6161214 posted by (C)fronte360

楠根川にかかる萱振橋の手前を左に折れて川沿いに歩きます。

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梅雨とは思えないほどの晴天と乾いた風が心地よい上々のハイキング日和。

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ですが、延々と日陰のないなかを歩く、歩く、歩く・・・
長袖着るべきでした。 日焼けしちゃいます。

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右手に生駒山を遠くに臨み、
左手には近畿大学付属中学高校の校舎ですね。 左側の白い建物。

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ようやく府道21号大阪東大阪線へと出て巨摩橋を渡って東へと進みます。
巨摩橋の上より今まで歩いてきた楠根川を振り返ります。

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府道21号大阪東大阪線、この道は何度か歩いたことがあります。
近鉄ハイキングに参加するずっと以前、
この界隈を勝手に東大阪散歩などと称して歩き回っていました。

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よってこの先の今回のハイキングポイントも何度か見ていたりします。
が、とにかく進みます。 ここから先、街路樹のありがたみを知りました。




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2018年06月19日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 穴太神社(あのうじんじゃ)

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
近鉄大阪線久宝寺口駅よりスタート、さっそく寄り道で穴太神社に行きました。

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祭神は、天照皇大御神、住吉四神(上筒男命・中筒男命・底筒男命・神功皇后)、
春日四神(建御賀豆智命・伊波比主命・天子八根命・比売神)です。
こられ九神を合せて”穴太大神”と称すると書かれていました。

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境内には市の保全樹木に指定されているクスノキが聳え立ち、
うっそうとしたクスノキと社殿の間には遥拝所が設けられていました。

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境内社として、半九郎稲荷大明神。

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神社の「由緒」としては、以下が書かれていました。

 当社は旧若江郡式内社の中にて、安康天皇の設けられた御名代部の一つ穴穂部の地にして、聖徳太子の生母、間人穴穂部皇后の生地であり、成人された地であって、その産土神として奉斎せられ来たと伝えられる。
 古来、宝物・古記録等豊富であったが、後世回録の災に罹り総て焼失したので創建年月は不詳であるが、古名社の一つである。
 昭和五十七年十月旧社殿の老朽著しく、穴太旧村二十五戸を始め氏子民崇敬者の努力により、千木高々に新社殿を竣功相成って御遷座仕へ奉って、結構壮麗今日に至る。
 又、境内来たにある末社稲荷社も同じく新殿竣功相成って御遷座仕へ奉り今日に至る。半九郎稲荷大神と称えられ、穴太大神と共に広く氏子・崇敬者の護りの神と仰ぎ奉らる。

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P6161213 posted by (C)fronte360

寄り道がすぎました、先へと進むことにします。

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2018年06月18日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 久宝寺口よりスタート

久しぶりに近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

参加第13回目は4月14日、樫原線石見駅からの「日本のはじまりウォーク」
第14回目は5月26日、大和西大寺駅から「西大寺・秋篠寺から平城宮跡へ」
これらは省略して、6月16日に第15回目として
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
に参加しました。 集合場所は、近鉄大阪線の久宝寺口駅。

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集合時間9:30〜11:00でしたが10時過ぎに到着。 すぐに地図を頂けました。

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今回のコース、ハイキングに参加するようになる前にも訪れた地もあり、
また木村重成など興味ある人物ですので心も軽くスタートです。

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近鉄大阪線の線路にそって八尾駅方面に歩き、

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穴太南(あのうみなみ)交差点より北上。
まっすぐ進むと東大阪へとつながる府道21号八尾枚方線。

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穴太(あのう)交差点で右を見たら、神社がありました。
ハイキング地図にはマークだけで説明のないポイントですが、さっそく寄り道。

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穴太神社、廃千眼寺跡

 当地域は安康天皇の設けられた穴穂部の地、聖徳太子の生母間人穴太部皇后の成人の地と言われる。
 当社は古代氏族穴太氏の一族の祖神を祭る産土神で、境内に残る寺跡はその氏寺であったと考えられる。童子は河内鑑名所記、和漢三才図会に名刹千眼寺として紹介されている。
 この社の付近一帯はそのむかし大集落繁栄がうかがわれ、これまで奈良時代から室町にかけて住居跡の埋没が確認され、昭和五十六年の調査で多くの遺物が発掘されている。

                     八尾市教育委員会

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何はともあれ境内へと進みます。

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2018年06月17日

我が家の

琵琶
こちらも小さい🎵
子供が小さい頃、食べた琵琶の種を植えて、木になって実をつけました。
一昨年だったかに実を付けたのに気付きましたが、ほんの少しの量で、あっという間に鳥に食べられたのですが・・・
今年は多く実って鳥の被害もなく収穫できました。
爽やかな酸味が特徴ですね。
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2018年06月16日

八尾・若江の戦い、心合寺山古墳

「しおんじやま」古墳にやって来ました。
5世紀前半に造られた中河内最大の前方後円墳です。
風が涼しい!
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八尾・若江の戦い、山口重信の墓

木村重成と戦って戦死した徳川方の山口重信の墓です。亀の背に乗ってます。
第二寝屋川の開削までは木村重成の墓と向き合っていたそうです。
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八尾・若江の戦い、木村重成の墓

八尾市幸公園。
もとはここから東に50メートル程の所にありましたが、第二寝屋川の開削工事で昭和42年に移されたそうです。
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八尾・若江の戦い、蓮城寺

美将・木村重成の位牌堂がありました。
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